音楽の編み物

シューチョのブログ

音楽

ワルターのモーツァルト(1)

よーうやくSACD化されたワルターのステレオシリーズ。 モーツァルト&ハイドンのセットが今日届きました。 「これをまず聴こう」とふと思って、フランチェスカッティとのコンチェルトをかけたら、音場の近さにびっくり。オーケストラのVn.の細やかな節回し。…

フルトヴェングラーのベートーヴェン(1)

ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 GLAND SLUMレーベルのオープンリールによる復刻シリーズ、ワルター以外にフルトヴェングラーにも手を染めています。「…モノーラルと…

ワルターのドヴォルザーク (1)

ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調作品88 ブルーノ・ワルター/コロンビア交響楽団 オーディオの買替やセッティング変更をしたときは、いつもこの第3楽章をレファレンスとして再生してきました。 勢いのよいテンポ感とチャーミングな節回し、瑞々しいコロン…

三つの G は涙の粒である。その雫が Es のフェルマータである。

音楽テーゼ集 (10) 三つの G は涙の粒である。その雫が Es のフェルマータである。 ─── 交響曲第5番ハ短調作品67(“運命”) ベートーヴェン自身が第1楽章冒頭動機について「運命はこのように扉を叩く」と言ったとか言わないとか。「実話かどうかに拘らず…

「エロイカ」葬送行進曲158小節の変イ音は,魂の発音=「冥音」である。

音楽テーゼ集 (9)「エロイカ」葬送行進曲158小節の変イ音は,魂の発音=「冥音」である。 ─── 交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」 第1楽章:序奏が置かれず、提示部が驚きを伴って突然開始、短い動機が次々と現れ、運動的で細かい音符が周到に縦横に編み…

ベートーヴェン最初の交響曲は、歌って遊ぶ大きな小品である。

音楽テーゼ集 (7) ベートーヴェン最初の交響曲は、歌って遊ぶ大きな小品である。 ─── ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調作品21 斎藤秀雄はその著書『指揮法教程』において、この曲の第2楽章を課題曲としている。しばらくこの曲と向き合い、なるほど、さ…

ベートーヴェンの小交響曲は、小さな大交響曲であり、思索する情熱である。

音楽テーゼ集 (8) ベートーヴェンの小交響曲は、小さな大交響曲であり、思索する情熱である。 ─── ベートーヴェン:交響曲第8番へ長調 第7と第8の2つの交響曲はほぼ並行して作曲され、作曲者自身は第8の方が気に入っていたと伝えられる。“リズムの神化”…

メンデルスゾーンの管弦楽は、言葉の無い歌である。

音楽テーゼ集 (6) メンデルスゾーンの管弦楽は、言葉の無い歌である。 ─── メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」作品26 メンデルスゾーンの交響曲・管弦楽曲の特徴とは、歌謡主題の美しい旋律を交えつつ、純器楽的な動機が織りなす“音のドラマ”が繰り…

編曲とは、原曲とは別の特殊解へ至らんとする道である。

音楽テーゼ集 (5)一つの音楽作品を編曲の対象としてみるとき、それには、微分方程式の一般解に相当するような、“原曲以前”の原初的側面がある。 原曲とは、その微分方程式の特殊解の一つである。 編曲とは、原曲とは別の特殊解へ至らんとする道である。 ────…

音楽作品は、量子的に振る舞う多様体である。

音楽テーゼ集 (4) 音楽作品は、量子的に振る舞う多様体である。 演奏表現とは、音楽作品がそれによって初めて一つの姿に象られて現れ出るような、一つの行為・形態である。音楽作品は、別の演奏表現によっては別の姿に象られて現れる。互いにときに著しく相…

音符とは言葉である。

音楽テーゼ集 (3) 音符とは言葉である。(テーゼのみ)

楽譜とはテクストである。

音楽テーゼ集 (2) 楽譜とはテクストである。 文章(文学作品、評論、他あらゆる類の文章)とは、書き言葉、書かれた言語である。その典型的な存在の仕方の一つは、白紙に活字を並べて綴じた「テクスト=書物(本)」という存在の仕方である。もっとも、活字…

音楽とは抽象である。

音楽テーゼ集 (1) 音楽とは抽象である。 例えば「エロイカ」の第2楽章について、「行進曲なのだから歩けないような遅いテンポは間違い」であるとして、フルトヴェングラーなど旧時代の巨匠たちの演奏を批判する論をしばしば耳にする。しかし音楽を演奏する…

音楽テーゼ集

新カテゴリー「音楽テーゼ集」を開始しました。 一つの文(主として英語構文でいう第2文型の文)=テーゼを冒頭に掲げ、それについて後に説明を加える、というスタイルで書くことを原則としているので「テーゼ集」と称しています。 旧ブログで公開していた「…

河上隆介指揮セブンスター・オーケストラ第10回記念演奏会

2年ぶりに、セブンスター・オーケストラ演奏会に足を運ぶことができました。今年は第10回記念演奏会ということで、ローマの謝肉祭、牧神の午後への前奏曲、ラ・ヴァルス、幻想交響曲の4曲という、欲張りなプログラム。 指揮棒を持たない素手のスタイルで河上…

恩師追悼

宇野功芳先生が旅立たれました。 高校からの親友がネットのニュースを見てすぐメールで知らせてくれたので,報じられた日には知ってはいました。ここ数日,ごく普通の日常を過ごすことはできても,ふとこの消し難い事実を思い出しては,先生にもう会えないと…

2016Vpo.ニューイヤーコンサート

言の葉と音の符、楽の譜は文の森 今年のウィーン・フィル/ニューイヤーコンサートを録画で数曲視聴、マリス・ヤンソンス、やはりなかなかよいと思いました。 ヤンソンスの初登場は2006年で(そうか、もうちょうど10年前でしたか…)、そのときも有意味で張り…

松村禎三のオペラ『沈黙』放送

言の葉と音の符 楽の譜は文の森 9月27日(日)深夜24時20分(28日(月)0時20分)からのNHKBSプレミアム「プレミアムシアター」は、松村禎三のオペラ『沈黙』。今回放送されるのは今年6月に行われた公演のようで、それがあったことを最近になって知り、情報…

アンドレアス・シュタイアーのモーツァルト

言の葉と音の符、楽の譜は文の森 (44) 2009年11月 ──本記事は、シュタイアーのモーツァルトのCDについて、ネタバレ的内容を含みます。本盤はすでに最新の新譜ではないとは思いますが、一応お断りしておきます。── アンドレアス・シュタイアーのモーツァルト…

三田にて

言の葉と音の符、楽の譜は文の森 (57) 2014年3月 レンタカーを借り,三田プレミアムアウトレットに繰り出そうとしたのですが、中国道の出口を間違えて「神戸三田 IC」よりも 手前の「西宮北 有馬 三田 IC」で降りてしまい(紛らわしいなあ)、それならいっそ…

発掘!「旋律の造型学」

当サイト公開に向けて行った、過去に書き溜めてきたものの検索/整理の過程で、とうに散逸してしまったものと思い込んでいた「旋律の造型学」を自己発掘することができました。何のことはない、自分でかなり深い階層にしまい込んでしまったことを忘れ、見当…

ベームの名演奏

言の葉と音の符、楽の譜は文の森(34) 2009年1月 シューチョのアーカイブ(1) ──1999.1.25.「ベームの名演奏」── 2009年が明けました。今年もよろしくお願いします。 僕には「眠らせたままではもったいない未発表原稿」がまあまあ多数ありまして(笑)、この場…

厚化粧に隠された涙─ゲルギエフの芸術─

言の葉と音の符、楽の譜は文の森 (35) 2009年1月 シューチョのアーカイブ (2) ──1998.12.14.「厚化粧に隠された涙─ゲルギエフの芸術─」── 「アーカイブ」第2弾です。ワレリー・ゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団の1998年大阪公演について書いた文章で…

追悼 松村禎三

言の葉と音の符、楽の譜は文の森(17) 2007年8月 8月6日、作曲家の松村禎三氏が亡くなりました。享年78歳。 僕の先輩で、東京芸大の作曲科に進み、松村氏の直弟子になった人がいます。Hさんとしましょう。今日、ノンプロ指揮者小西収があるのは、このHさん…

エリック・ハイドシェック ピアノ・リサイタル

言の葉と音の符、楽の譜は文の森(42) 2009年9月 サンケイホールブリーゼにてエリック・ハイドシェックを聴きました。 本割りは ハイドン:ピアノソナタ第59番 シューマン:「子どもの情景」 休 憩 ハイドシェック:5つのプレリュード ドビュッシー:「子ど…

梯剛之 ピアノ・リサイタル

言の葉と音の符、楽の譜は文の森(40) 2009年5月 宝塚ベガホールで梯剛之リサイタルを聴きました。 梯のピアノは、実演が聴けることを心待ちにしながらも、数年前高槻など近くへ来たときも日が合わず、ようやく聴ける機会に恵まれました。エリーゼ、七つのバ…

鶴見俊輔『限界芸術論』

言の葉と音の符、楽の譜は文の森(41) 2009年8月 鳥取の「こぶし館」に「島田文庫」というのがあります。その書棚に鶴見俊輔『限界芸術論』の初版第1刷を見つけました。 有名な本なので存在と名前は知っていました。おそらく、ちくま学芸文庫版が出たときに…

音楽の情熱的本質

言の葉と音の符、楽の譜は文の森(47) 2010年6月 『美の中の対称性 数学からみる自然と芸術』(新井朝雄 日本評論社 2009年)の第6章「音楽の基礎数理と対称性」冒頭で、著者は、ライプニッツの「音楽は魂が自ら行うひそかな数学的実践である」との言葉を引…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (5)

吹奏楽部顧問時代(1994─2009)の演奏会パンフレットより 1998年(ウェブ初公開は2006年9月) 大学受験浪人の時でした。当時通っていた予備校の英語講師・表三郎(おもてさぶろう)先生が、授業中に居眠りをしている受講生を見つけて言った言葉です。──「彼…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (9)

吹奏楽部顧問時代(1994─2009)の演奏会パンフレットより 2002年(ウェブ初公開は2006年11月) ─── [……]子どものやっていることについて、一々一々実に気になって仕方のない方があります。子どものしていることの何とまずさよ、何とへまなことよ[……]それ…