音楽の編み物

シューチョのブログ

ベームの名演奏

言の葉と音の符、楽の譜は文の森(34) 2009年1月

 シューチョのアーカイブ(1) ──1999.1.25.「ベームの名演奏」──

2009年が明けました。今年もよろしくお願いします。

僕には「眠らせたままではもったいない未発表原稿」がまあまあ多数ありまして(笑)、この場に適するように修正しつつアップしていき、数回にわたる「シューチョのアーカイブ」というシリーズにしようと思います。どうぞよろしく。

今回はその第1弾ということで、昨年DVD化されたカール・ベームウィーンフィルの来日公演についてです。年末に視聴したのですが、特に1975年のブラームスはすばらしいと改めて思いました。以下は、10年ほど前に書いたもので、この演奏がNHK教育「20世紀の名演奏」で放映された際の文章です。

 


NHK教育「20世紀の名演奏」第3回のカール・ベームウィーンフィル1975年来日のブラームス1番、いやあ、よかったですねえ。すごいすごいと言い伝えられていることは知っていましたが、僕は昨晩が初鑑賞、

#2度めの来日時か追悼番組かでFMで放送されたのがこれだとすると、音を聴くのは2回めになります。どちらにせよ当時はすごさがあまりわからなかったなあ。

本当にすばらしい。ベームというのは少し窮屈なまでにがっちり音楽を造る人で、どっちかというと僕の好きなタイプではないのですが、「実演で燃える」という定評そのままの渾身の指揮ぶりで、引き込まれずにはいられません。あの厳しい眼を前に天下のウィーンフィルの管奏者がびびって音程が上ずっているのかと想像してしまうほどの、触ると感電しそうな緊張感。その厳しさが、血の通った音色の充実した響きに直結しているところがショルティなどとは似て非なるベームの偉大さです。また、小澤やアバドなどの演奏では絶対に起こり得ない現象でしょう。ぐっと前かがみになるときがベームの弦へのあるいは全合奏へのフォルテの合図のようで、そのときのウィーンフィルの音の出がまたすごい。この指揮法は独特です。しかめっ面でぶらぶら腕を動かしてオケを監視するかのように進み、半分やる気が無さそうにも見えるのですが、実は一音一音に意味を持たせつつ造型美を構築する強い意志の下にある。かと思うと、第3楽章トリオや終楽章コーダなど、時に堰を切ったように情熱が吹き出し、聞こえるオケの音だけでは足りないのか、自分で音楽を忙しくくちずさみながら顎を揺らして両腕を振り回す。鬼気迫る顔の表情。終結の和音を切った後に勢い余って思わず咳き込む姿が、ただならぬ気迫の証明です。ほぼ同年齢だろうに、「運命」を振り終わってすぐ、呼吸も乱さずニタニタ機嫌よく笑っていたショルティとの何という違い。カール・ベームの精神が時間を超えて身体の映像を通じて訴えかける、まさに芸術の営為の貴重な記録です。

このような「20世紀の名演奏」を前に細かいことを書くのは控えたいのですが、ベームのこの曲のテンポ設定について意外にも意見の一致する箇所が少なくありません。終楽章アルペンホルンの主題再提示の部分でいずれも(再現部だけではなく提示部のフルートも)テンポをしっかり落とすのはその一例です。もちろん他にもこうする人はいるかもしれませんが、あの立派な“造型師”ベームと同じ考えなんて、何だか嬉しいのです。