音楽の編み物

シューチョのブログ

トリカード・ムジーカ

阿満利麿『柳宗悦 美の菩薩』

阿満利麿『柳宗悦 美の菩薩』 (2019年、ちくま学芸文庫)──同名書(1987年、リブロポート)の文庫化── 『法然の衝撃』『親鸞・普遍への道』『日本人はなぜ無宗教なのか』等、著者の宗教論・仏教論にはいつもぐっと引き込まれ、熱い読書体験となったものです…

トリカード・ムジーカの集い ─2022年7月─

弦4部、Cl.1、Hr.2、Tp.3、Pf.、指揮者の12人による先月のトリカード・ムジーカ。写真は、集いの様子は撮らなかったので代わりに演奏曲の総譜を。 現トリカード・ムジーカの編成には特に音のすこぶる良い“ホーム”のホールに場所が戻った上に、史上初めてトラ…

純青の香りと味わい

トリカード・ムジーカの帰りに最近ちょくちょく寄るようになった酒店で、今日買ったお酒は「純青」。味や香りの特徴を記したポップ(店の人が書いて付けたもの)を読んで何となく好みに合いそうだと思ってこれにしたんですが、家に着いてから富久錦株式会社…

トリカード・ムジーカの集い_2019.12.28

年末のトリカード・ムジーカ。12人のエロイカ第1楽章、ブラームス第3緩徐楽章、ベートーヴェン第5。第5第1楽章再現部のフェルマータの響きが美しく、そのまま聴いていたくて長くなりました…いえ、「今、長くしたのはこの私だ」(クナ風)😃

トリカード・ムジーカの集い_2019.11.30

台風による中止を挟んだ、2か月半ぶりのトリカード・ムジーカの集い。僕を含め7人の、エロイカ第1楽章、ブラームス第3緩徐楽章、ベートーヴェン第5。 ──写真は休憩時のもの── さすがに今日は音の不足感が否めないか…と、始めるまで抱いていたその不安は、冒…

「楽藝の会」プログラム

2018年6月23日(土)「楽藝の会」プログラム(テキスト版) ──第1ページ── ・過去の演奏曲目 さだまさし/小西収編曲:「北の国から」器楽合奏版 ブラームス/小西収編曲:ハイドンの主題による変奏曲 ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調作品21より第2, 4楽…

トリカード・ムジーカ「楽藝の会」

去る6月23日,箕面市立西南生涯学習センターのホールにて,約2年ぶりの公演=トリカード・ムジーカ「楽藝の会(がくげいのかい)」を行いました。初の単独公演でもありました。 以下に挙げたリーフレットの拙文にも書いたような「トリカード・ムジーカ」「楽…

一九世紀的人間…

最近の読書において、(それ自体は別に目新しくはない)音楽の時間芸術としての定義を柳宗悦の文中に見つけ改めて新鮮な思いで読み、ショーペンハウアーの音楽論に大きく首肯し、演奏会や聴衆というものについて自分が考えていたようなことを「おぉ、やっぱ…

鶴見俊輔『限界芸術論』

言の葉と音の符、楽の譜は文の森(41) 2009年8月 鳥取の「こぶし館」に「島田文庫」というのがあります。その書棚に鶴見俊輔『限界芸術論』の初版第1刷を見つけました。 有名な本なので存在と名前は知っていました。おそらく、ちくま学芸文庫版が出たときに…

作品と表現の弁証法

いわゆるピリオド奏法、古楽器演奏、古楽器風スタイルが隆盛です。例えばベートーヴェンの音楽は確かに18世紀末から19世紀初めにかけて生まれました。当時、はたしてほんとうに、現在に古楽(風)として行われているスタイルのように演奏されていたのかどう…

考えと行いのあいだ

私シューチョは、「名前の由来」や「トリカード・ムジーカの考え」において、“始動者”の一人としてその壮大な?理念を打ち出しております。また、「シューチョの文集」に収めた文章も、「音楽/演奏とは何か/どうあるべきか」といった、根源的・本質的な話…

トリカード・ムジーカの考え(理念)

芸術・音楽の営みとは、それ自体が目的で営まれるという以外の在り方はないといえます。芸術(音楽)活動の貴さ=価値は、それ自体の中にすでに含まれているからです。 例えば「演奏会という大きな目標に向かって」などと気負わなくとも、ただ楽しく音楽を享…

「トリカード・ムジーカ」名前の由来

Trikado Muzika=トリカード・ムジーカ。原語はエスペラントで、日本語に訳すと「音楽の編み物」となります。 編み物をする手。それは、熟れた勢いと素早さを伴って、止まることなく自らの流れを保ちつつ、次々と複雑な形や模様を生み出していきます。その行…

トリカード・ムジーカとは

「トリカード・ムジーカ」とは、指揮者シューチョとその仲間の営む音楽合奏の形です。名前はエスペラントで「音楽の編み物」。「音を編む・人と音を編む・人と人を編む」という3つの意味を込めています。人の手が、反復的で制約的なその動作によってかえっ…