音楽の編み物

シューチョのブログ

追悼 松村禎三

言の葉と音の符、楽の譜は文の森(17) 2007年8月

 8月6日、作曲家の松村禎三氏が亡くなりました。享年78歳。

僕の先輩で、東京芸大の作曲科に進み、松村氏の直弟子になった人がいます。Hさんとしましょう。今日、ノンプロ指揮者小西収があるのは、このHさんによるところが大きい。もう一人はJさんですが、Jさんからは指揮法=指揮することをダイレクトに教わったのに対し、Hさんは、「芸術音楽とは?」「それに関わるとは?」といった問いに対する、僕にとっての「歩く答」のような人でした。その後、Hさんと僕とは、多少のというべきか決定的なというべきか、“思考の行き違い”があって、交流が途絶え、さらには、もし今再会しても、昔の関係を取り戻し談笑できるというような自信はありません(それはもちろん、僕自身の狭量さに負う所が大きいのではありますが)。しかし、芸術音楽に関して彼から授かった多大な恵みに対する感謝の念は忘れていませんし、それはこれからもずっと変わることはないでしょう。

ともあれ、Hさんのおかげで高校時代のうちから松村作品を知ることができました。そのことは、僕の芸術観・音楽観の形成の最も重要な一部分を占めます。Hさんから昔聞いた話では、松村氏は「自分は天国ではベートーヴェンの隣に座っていたい」と言ったとか。もちろんこれは、ベートーヴェンに肩を並べられるような作曲家でありたいということの比喩でしょう。しかし、僕から見れば、松村禎三は、ベートーヴェン“なんて”とうに超越したビッグな存在だといっても過言でない面を持ちます。松村作品における、生命の根源のエネルギーの噴出、自然と人間の光と闇を合わせ呑み込んだ表現力は、森羅万象・宇宙の鳴動の音楽と言われるブルックナー交響曲群に、全く異質でありながらどこかしらリンクするイメージが僕にはあります。松村を「東洋のブルックナー」と僕が呼ぶ所以です(→注1)。

最も好きな作品は何といってもピアノ協奏曲第1番。終わり間際のカデンツァ的部分の目も眩むような美しさは、数多ある“世界の音楽鑑賞名場面”のうちの屈指の数分間といってよいでしょう。

数年前、ゲルギエフマーラー交響曲とともに「管弦楽のための前奏曲」を演奏したコンサートのパンフレットには、これから私(ゲルギエフ)があなた(松村)の作品を世界中で演奏する、と約束してくれたとありました。ゲルギエフさん、この約束、守っていますか? 知る限りおぼつかないのでは。ぜひぜひお願いしますよ。レコーディングもね。「決して武満だけではない」ことをどうか世界に知らしめて下さいまし。 注1:松村を畏友と呼ぶ宇野功芳によると、松村自身はブルックナーに魅力を感じていなかったそうですが(レコード芸術1982年11月号のブルックナー特集より)。