音楽の編み物

シューチョのブログ

2016Vpo.ニューイヤーコンサート

言の葉と音の符、楽の譜は文の森

今年のウィーン・フィルニューイヤーコンサートを録画で数曲視聴、マリス・ヤンソンス、やはりなかなかよいと思いました。

ヤンソンスの初登場は2006年で(そうか、もうちょうど10年前でしたか…)、そのときも有意味で張りのある楽音の鳴り方(鳴らし方)がすばらしく、驚いた記憶があります。プログラムも意欲的で、セレモニー的にどう振る舞うかよりも、ひた向きに純音楽的な気合いが入っているような感じがしたものです。2年後の2008年はジョルジュ・プレートル。老巨匠のニューイヤー登場は私の周囲の通たちの間でも話題にならないはずはなく、みんな「さすが」「すごい」と惜しみない賛辞…。しかし、私は心の中で「もちろんよかったが、あえて比べるなら一昨年のヤンソンスの方がよりよかったと思うなあ…」と一人つぶやいていたのでした(2012年の2度めは未視聴)。プレートルがすばらしいのはプレートルだから当然とも言えるのに対し、そういう権威や風格には劣るといっていいヤンソンスの「素手の取り組み」がしっかり耳に届いたことの方が私の中では貴重です。

今年もヨゼフ・シュトラウス「天体の音楽」の序奏など、遅いテンポで伴奏音も旋律のように歌い込む表現に、思わず引き込まれました。

ラデツキー行進曲」では、スコアの細部を活かした「おっ」と思わせる表現も随所にありました。そうした「細か!」と思わせる表現が私は好きです。また、慣例となっている観客の手拍子に対し、開始/終了の合図や強弱の表現など、あんなに掘り下げた真剣な指揮振りによって要求した指揮者を私は初めて見ました(毎年視ているわけではなく、2006年のヤンソンスについても憶えてませんが…)。もちろん、真剣といってもしかめ面でこの通りにやれというのではなく(笑)、満場一体となって最高に楽しむための一環としてやっていて、大いにウケていたのです。でも「みなさんご存知ですよね、はい手拍子どうぞ」という軽い意識ではない。「真剣に遊ぶ」わけです。だから、その後途中で上手に引っ込んでいなくなるというパフォーマンスにも、その意味がよりしっかり感じられるのです。