音楽の編み物

シューチョのブログ

わかる人、わかる時、わかる可能性

わかる人、わかる時、わかる可能性 (21)

オリンピックについて、無視すればよいものを、どうにも辟易する気持ちを抑えきれませんで、いくつか書きます。もちろん、北京には行っておらず(笑)、TVを通じて見ましたので、TV・メディア・報道についての問題点をいくつか。 第一。「解説者」の絶叫は何…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (20)

2008年 演出家の竹内敏晴さんは、若い時に耳の病気がだんだんわるくなり、聞こえない状態になって、その後また聴力を取り戻す、という過程を辿ったそうです。その独自の芸術論・教育論を最近知り、惹かれました。 ───── 突然、音楽がサァーッと流れこんでき…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (19)

前回のつづきです。 芸術点が設けられた第10回・第11回のVTRの視聴の後、山田氏はロボコンを「フィギュア部門とアスリート部門に分けること」を提唱します。まあ、番組の流れに沿っただけで特に深く考えもせず述べたのでしょうが、そういう発想がロボコンの…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (18)

まだまだ、高専ロボコンについてです。 ロボコン20年を記念する特別番組「ロボコン大百科」の冒頭、アナウンサーの「ロボコンの魅力は、一言で言うと…」という質問に、ゲストの山田五郎氏は次のように答えました。 「一言で言いますと、ロボコンとは理科系の…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (17)

他のロボットについても少し触れておきます。東海北陸地区大会における豊田高専(B)「騎槍展開」は、豊田お得意の蛇腹を地面に這わせるタイプ。率直に言って、豊田のロボットはどうも気に入りません。鉄壁の守備といえば聞こえはいいのでしょうが、相手を妨害…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (16)

高専ロボコンには、勝敗に関わる「優勝」「準優勝」のほかにもたくさんの賞があり、なかでも、「ロボコン大賞」は、その年の大会で最もすぐれたロボットに与えられる栄誉です。サレジオ高専のサイトのリンクを辿った人はおわかりでしょうが、「二戦錬馬」は…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (15)

「高専ロボコン2007」のテーマは「風林火山ロボット騎馬戦」。「初のロボット同士の直接対決」ということでしたが、これを聞いた直後は僕は少し気持ちが曇りました。例年のテーマは、多角的で複雑なものが多く、多様なアイデアや技術を披露できる場面が豊富…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (14)

TV番組の「学校へ行こうMAX」で,Mr.マリックが出身中学に赴き、体育館で全校生徒および全先生にスプーンを渡し、全員一斉にスプーン曲げをさせる、というパフォーマンスをやっていました。その実演の後のメッセージは次のようなものでした。 (スプーンが曲…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (13)

2007年 ──── 《美は教育はしません。》 ─中略─ 美的な完全さについての「一般的観念」はありません。バッハのフーガを聞くとき、完全なのはそのフーガ自体なのです。 (シモーヌ・ヴェーユ『ヴェーユの哲学講義』 ちくま学芸文庫、1996年、296頁) ──ヴェー…

わかる人、わかる時、わかる可能性 2007 (2)

─── 《美は教育はしません。》 ───シモーヌ・ヴェーユ『ヴェーユの哲学講義』(ちくま学芸文庫、1996年、296頁) 教育とは一つの働きかけです。それに対して、美は、美からこちらには働きかけず、それを美と捉え得る者とのみつながりを持ち、そうでない者は…

わかる人、わかる時、わかる可能性 2007 (1)

シモーヌ・ヴェイユ(→注1)(1909~1943)に僕が関心を持ち始めたのはごく最近のことです。図書館の開架図書に偶然『カイエ』や冨原眞弓氏(→注2)の著書を見かけ、面白そうだと思ったのがきっかけでした。ヴェイユは、その短い生涯で、哲学者として高校教…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (12)

──2005年には僕の文章は掲載されませんでした。── 2006年 ─── 作品のもつ熱気・優美・憂愁・情熱を効果あらしめるには、演奏者自身の熱気・優美・憂愁・情熱をもってするほかに、いったいどうしたらよいであろうか? ───(ブルーノ・ワルター 渡辺健(訳)『…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (11)

2004年 『ウルトラセブン』第26話「超兵器R1号」において、惑星1個を丸ごと消滅させるほど強力な爆弾R1号の実験が成功し、ウルトラ警備隊員たちは「これで地球の防衛は万全だ」「使わなくともこれがあるぞと知らしめるだけでいい」と口々に喜びますが、…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (10)

2003年 社会制度上の構成単位を家族から個人へと移行させる「シングル単位論」(→注1)を独自に提唱する知人の学者・伊田広行さんは、最近の新書版の著書の中で親子(大人と子ども)の関係についても触れ、次のように述べています。 ─── [……]親はほかの子…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (9)

2002年 ─── [……]子どものやっていることについて、一々一々実に気になって仕方のない方があります。子どものしていることの何とまずさよ、何とへまなことよ[……]それじゃいけない、そうじゃいけないというふうに[……]ひっきりなしに子どもに向かって働き…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (8)

2001年 毎年僕はこの原稿を、本文にタイトルと名前だけを添えて渡すのですが、できあがったパンフレットにはいつも「吹奏楽部顧問」という肩書きが付いてきます。そうに違いないのでしょうが、どうしても自分の名前に冠されるには不釣り合いに思えてなりませ…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (7)

2000年 吹奏楽部の彼女ら彼らと普段一緒に音楽をやっていると、正直、即刻中断して帰りたくなる程ひどい状態のときもありますが、調子のいいときは、確かにミューズの神が訪れたかのような豊かな響きの出ることがあります。こういう稀なる瞬間を彼女ら彼らと…

わかる人、わかる時、わかる可能性 (6)

1999年 指揮者とは何か。指揮活動とは何か。小学6年の運動会でのドラムメジャー(バトンとホイッスルで鼓笛隊の行進を率いる先導者)の経験にまでは遡らないとしても、中学2年にピンクレディーの「UFO」を指揮したのがデビューとすれば、20年はやってい…

わかる人,わかる時,わかる可能性 (5)

1998年 大学受験浪人の時でした。当時通っていた予備校の英語講師・表三郎(おもてさぶろう)先生が、授業中に居眠りをしている受講生を見つけて言った言葉です。──「彼を起こしてあげなさい。…気をつけないと風邪を引くんだよ、冷房の効いた部屋で寝ちゃう…

わかる人,わかる時,わかる可能性 (4)

1997年 本校の中学生たちにとって何より幸福なことの一つは、Y先生の伴奏で校歌を歌えることでしょう。各学期の始業式と終業式の度に、さらには入学式や卒業式で(このときは高校生も)、講堂のグランドピアノによる先生の伴奏が聴ける。先生のピアノは単に…

わかる人,わかる時,わかる可能性 (3)

1996年 音楽表現の指示を連ねて終わる普段の合奏練習のその奥で、語らずに置いてきたことを、他ならぬその練習成果の最大の発表のときとなるこの定期演奏会に寄せて、言葉にしておこうと思います。 第一。 降りしきれ 雨よ 降りしきれ すべて 許しあうものの…

わかる人,わかる時,わかる可能性 (2)

1995年 「私の体は、私だけのものではない」─『ウルトラマン』最終回で、倒れた自分を迎えに来た故郷の星の仲間に向かってウルトラマンはこう告げます。そして、「自分がただ帰ることは一心同体であるハヤタ隊員の死を意味する、帰るなら彼に命を預ける(=…

わかる人,わかる時,わかる可能性 (1)

1994年 吹奏楽は芸術の器の一つです。楽器とその奏法という一見特殊で専門的な道具と技術も、外ならぬ人間がこれまで創造・継承・発展させてきたものなのだから、今を生きる人間である自分自身の頭脳と身体と感性とをまずはそのままそれらに駆使してほしい。…