音楽の編み物

シューチョのブログ

わかる人,わかる時,わかる可能性 (1)

   1994年

 吹奏楽は芸術の器の一つです。楽器とその奏法という一見特殊で専門的な道具と技術も、外ならぬ人間がこれまで創造・継承・発展させてきたものなのだから、今を生きる人間である自分自身の頭脳と身体と感性とをまずはそのままそれらに駆使してほしい。これは画一的なトレーニングで効率的に「うまくなる」のとは対極の、最も遠回りな道でしょう。しかし、ある種の「やり心地の悪さ」を経ながらもあれこれ自分で悩み考え手足を動かすことが、芸術の始まりだと考えます。一人一人が自分の中に芸術を育む過程は3年や6年で終わるはずがありません。中学・高校時代に出会った「楽器を奏でる」という行為が、「私はどう生きていくのか」という自分への問いかけであってほしい。吹奏楽をする(した)ことは、単に「一生懸命だった学校生活のきれいな思い出」になってしまうにはあまりにもったいないようなことなのです。