音楽の編み物

シューチョのブログ

ひとりぼっちの宇宙人(1)

   ─ 序 ─

 モロボシダン=ウルトラセブン、彼こそは、自己分裂を背負い自己犠牲に生きた悲劇のヒーローである。彼は、純粋で孤独な青年だった。純粋であるがゆえに闘わざるを得ず、闘えば闘うほど孤独にならざるを得なかった。彼は「何という美しい星だ」と感動した、ただそれだけを理由に、故郷から遥か離れた地球に留まる。これを純粋と言わずして何と言おう。しかも彼には、一心同体となる地球人の相棒がいない(→注1)。モロボシダンもウルトラセブンも彼自身なのである。これこそ真の《孤独存在》である。

 『ウルトラセブン』におけるこの《登場人物設定》のことを、本書では「ダン=セブンの二重性」と呼ぶ。「ダン=セブン」という「同一性」を示した直後に「二重性」とはいかなることかと問われるかもしれない。しかし、この「二重性」こそが、『ウルトラセブン』において数々の傑作挿話が生み出され得たことの一番の理由なのである。本論では、「二重性」とは何と何のどういう二重をいうのかをまず明らかにする(第I章)。次に、各挿話の構成と内容および挿話間の連関において、この「二重性」が具体的にはどう表出されているかを詳細に述べる(第II章)。そして、少し寄り道をするような形で、ウルトラ警備隊の隊員たちにスポットが当たった挿話も論じた(第III章)後、特に傑作挿話「ノンマルトの使者」と最終挿話「史上最大の侵略」については別に章を設けること(第IV章/第V章)で《ダン存在》論の仕上げとした。そこではもちろん、『セブン』を語る上で避けて通れない《アンヌ存在》についても論じることになるだろう。

 本稿では、(1) 番組タイトルとしては『ウルトラセブン』(『セブン』)、(2) 『ウルトラセブン』に登場し活躍するヒーロー/超人の名前を直接議論の対象にする場合には《ウルトラセブン》(《セブン》)、(3) 登場人物の第3人称としてはウルトラセブン(セブン)と表記する。特に(2) の意味と(3) の意味は混同されやすいのでこう区別した。以上は、番組名とヒーロー名が同じである他の例に関しても同様である。また各挿話については、例えば「姿なき挑戦者」「狙われた街」等、「」を付けて表記した。

注1:変身するウルトラヒーローたちにおいては「地球人の相棒」がいる方が圧倒的多数派である。2006年現在までのTVシリーズで、主役のヒーロー(その名が番組名にもなっているヒーロー)のうち、「相棒」がいないことがはっきりしているのは、セブンの他にはレオ、80(エイティー)、メビウスの3人のみである。