音楽の編み物

シューチョのブログ

わかる人、わかる時、わかる可能性 (12)

 ──2005年には僕の文章は掲載されませんでした。──

   2006年

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作品のもつ熱気・優美・憂愁・情熱を効果あらしめるには、演奏者自身の熱気・優美・憂愁・情熱をもってするほかに、いったいどうしたらよいであろうか?

───(ブルーノ・ワルター 渡辺健(訳)『音楽と演奏』 白水社,1973年,30頁)

 今年はモーツァルト生誕250年。私の敬愛する往年の名指揮者ブルーノ・ワルターモーツァルト演奏の大家でした。「リンツ交響曲のリハーサル風景を収めた録音が残され,それによって,ワルターの魅力的な表現が誕生する秘密の一端を知ることができます。80歳とはとても思えない高い美声で,ソロ奏者への指示には“Mr. ○○,…”と姓で呼びかけ(当時のプロの慣習からすればおそらく異例),ときには自ら旋律を歌いながら,ときには試演を中断しないまま堰を切ったように“Sing!”“Sing out!”と叫ぶ…。クールな天才や奇行の変人も多い名指揮者たちですが,ワルターはつねに温かな普通の人間味にあふれています。その,身近ながら偉大な才人の発する言葉や演奏は,いつしか私の人生のお手本になりました。『音楽と演奏』は専門的な指揮者論・演奏論の著作ですが,ワルターは「けっして音楽家ばかりではなく、音楽を愛し、音楽のなかで生き、音楽を、欠かせぬ魂の糧とするすべての人びと(同,12頁)」を読者として念頭においていました。私は,そのワルターに「念頭におかれていた」一人として,吹奏楽部と向き合い,音楽演奏の愉しみを共有すべく,その真剣な眼差しに応えようと微力ながら努めています。わかっているんだろう/わかっている時もある/わかっている人もいる/わかる可能性を秘めている生徒たちと,教育に携わる者同士として教わり合えることがあるとすれば幸いです。