ひとりぼっちの宇宙人 (24)
第 II 章 ダン=セブンという多面体
2 セブンであることを知られるダン
第9話「アンドロイド0指令」(1)
冒頭のシーン。金髪で金色の衣装を身にまとった謎の女が道路の真ん中に現れ、フルハシの運転するパトロール中のポインターの進路を遮る。
───
「ウルトラ警備隊の方ですね」
「(窓を開けて応じ)そうですが…」
「あの…、モロボシ隊員では?」
「オレ?…(助手席のソガに振り返ってウィンクし笑うと)…そ、モロボシダン」
「お会いしたかったんです(握手を求めてくる)」
「へっ、ああ」
───(上原 DVD[99c:9])
そそくさと手袋を脱ぎ応じるフルハシ。すると女は握手した右手から電気ショックのような攻撃を浴びせフルハシを負傷させる。
謎の女の捜索のためにポインターで町に出るダンとソガ。ある公園に、本物そっくりの精巧な機関銃の模型を売り、子どもたちに“おもちゃじいさん”と慕われる老人がいた。チブル星人の変身した姿である。老人はウルトラ警備隊の2人を見ると屋台をしまい逃げるように去って行く。この老人が怪しいとみた2人は後を追うが、そのときは近所への聞き込みをするに留まった。
夜、再び老人の住処へと向かうダンとソガ。途中、アンドロイドの女が現れ、ダンとソガをデパートへと誘い込む。館内アナウンスによる女の声がアンドロイド0指令の発令を予告する。促すようにエスカレータが動き、それに乗って階上へ向かう2人。おもちゃ売り場。「アンドロイド0指令とは何だ。答えろ!」(前掲DVD)ソガが叫ぶと、正面にいきなり老人と女が現れる。老人はアンドロイド0指令について説明を始める。子どもたちに持たせた武器はおもちゃに見せかけてあるが実は本物であるという。アンドロイド0指令によって、催眠周波を送って子どもたちを操り、武器を使わせるというのだ。
───
ソガ「そんなことができると思っているのか」
老人「できるね。見ていたまえ。午前0時の時報とともに、子どもたちのおもちゃが一斉に凶器になるんだ。私のばらまいたおもちゃがな(→注1)。催眠状態に置かれた子どもたちは、私の思い通りに操ることができる。子どもたちが持つ、最新鋭の武器は、地球上のいかなる武器よりも協力だ。まして、地球の大人たちは、子どもには武器は向けはしないだろう。だから子どもたちは、何の苦労もなく、ごく平和的に、東京、日本を、いや、全世界をたちまち占領してしまうというわけなのだ。どうです。おわかりかな、0指令の内容が」
───(前掲DVD)
老人の説明が終わって、ソガの吐く捨て台詞がおもしろい。
───
「ふん、ばかばかしいや。おもちゃが本物になってたまるか」
───(前掲DVD)
特撮というものを「子どもだましだ」と言って嗤う大人に典型的な言葉、それを他ならぬ特撮物の登場人物に言わせるという、いわば“メタ言語的シナリオ”になっているのである。
老人が「では、納得させてあげよう」と言って右手をかざすと、周囲の空気が変わる。ズラリと並んだおもちゃの戦車が一斉に動きだし、ダンとソガに総攻撃を仕掛けるのだ。戦闘機の模型も売り場を所狭しと飛び回り、ミニロボットも歩き出し、向かってくる。すべておもちゃである。驚き逃げ回る2人。しかし、ソガが模型飛行機の砲撃に遭い、足を負傷。
───
ダン「このままではやられてしまいます」
ソガ「バカヤロー。おもちゃにやられてたまるかい」
───(前掲DVD)
ダンはビデオシーバーでアマギに状況説明するも、まじめにやれとあきれて返され、冗談でも寝ぼけているのでもないと念を押す。「これは事実なんです。おもちゃが本物になったんですよ!」(前掲DVD)
何ともわくわくする、稚気溢れる《リアリズム》ではないか。特撮ファンならばミニチュアワークのシーンというだけで嬉しいものがあろうが、先の「大人」たちは「所詮おもちゃ」「幼稚だ」と一笑に付すだろう。しかしここでは、そこをみごとに逆手にとった演出が成されている。すなわち、それが「所詮おもちゃ」であることになんの引け目も要らないのである。否、それどころか、劇中では、おもちゃであること自体がそのまま本物としての表現になっている。ここでは、“おもちゃであることこそがリアル”なのである。まことにすぐれた《ミニチュアの逆説》であるといえよう。特撮ものというカテゴリーの中で「フィクションが生きる」ために、実にこのような形も取り得るのであった。
注1…この台詞の背後の映像で、老人の頭の中で想像された未来として、操られた子どもたちが行進する光景が描写される。ダッダッダッという揃った足音が何とも不気味である。