わかる人、わかる時、わかる可能性 2007 (1)
シモーヌ・ヴェイユ(→注1)(1909~1943)に僕が関心を持ち始めたのはごく最近のことです。図書館の開架図書に偶然『カイエ』や冨原眞弓氏(→注2)の著書を見かけ、面白そうだと思ったのがきっかけでした。ヴェイユは、その短い生涯で、哲学者として高校教師として工場労働者としてスペイン人民戦線民兵として生き、最後はおそらく宗教者として、自らのキリスト教的理念に基づき、病床にありながら配給以上の食料の摂取を(あるいは配給分さえも)拒否したため、栄養失調で亡くなりました。
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前線に配属後まもなく、ヴェイユは不運な事故で脚にやけどを負い、戦線離脱を余儀なくされる。おそらくこの事故がなければ戦死したであろう。自分の身を守るためには銃を使うまいと決めていたからだ。
───冨原眞弓『シモーヌ・ヴェイユ』(岩波書店、2002年、98頁)
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配給の食料切符で買える肉はわずかだったが、闇市ではほとんどなんでも手に入った。もちろん、そうした贅沢にあずかれる人びとは特権を行使しているのであり、特権はすべからく人間を堕落させると考えるヴェイユにとって、特権によって、入手できるような安楽は問題外だった。イギリスでもミルクは配給制なのだから、あなたがミルクを飲んでも子どもたちからミルクを奪うことにはならない、と医師が説得しても効果はなかった。きちんと栄養をとって休養したなら退院できたかもしれないが、病状と担当医との関係はどんどん悪くなった。
───(前掲書、280頁)
理想のままに生をまっとうするとは、ときにこのように壮絶なものか、ほんとうにこのような人物が実在したのか…、驚くばかりです。
ここで、ヴェイユの思想と実像に深く迫れればいいのですが、僕自身もまだ読み始めたばかりであり、まだまだ解説も何もできる立場ではありません。いえ、まだというといつかはできるかのような言い草ですが、それとてもちろん怪しい(頭掻)。
今回話題に採り上げたいのは、そのように今の自分に手に余る大問題についてではなく、もう少し“小さな”“軽い”引用なのです。「わかる人、わかる時、わかる可能性」に僕が書き続けてきたことと通底する、ヴェイユの言葉についてです。
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《美は教育はしません。》
───シモーヌ・ヴェーユ『ヴェーユの哲学講義』(ちくま学芸文庫、1996年、296頁)
──この項つづく──
注1…「ヴェーユ」とも表記される。
注2…とみはらまゆみ(1954~)。ムーミンの研究と翻訳でも知られる。ヴェイユ関連では『ヴェーユ』(清水書院、1992年)、『シモーヌ・ヴェイユ 力の寓話』(青土社、2000年)など。