音楽の編み物

シューチョのブログ

マァイケル・ヨンデル「ハードカバーと白熱電球」(6)

 マイケル・サンデル

 『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』

 (鬼澤忍訳、早川書房、2010年)

 

 こんにちは、マァイケル・ヨンデルです。長らくとごぶさたしてしまいましたので巻頭言を再掲します。

 

「書評夢情」「書法夢我」「値張れば借入」「一切快楽」。読書はたのしい。たのしい本を読むのはたのしい。つまらん本にモノ申すのはたのしい。著者との、あるいは書物そのものとの対話、それへの応答。能動的な読書。

 

この「ハードカバーと白熱電球」のコーナーは、「寡読な読書家」の私ヨンデルが、自宅の蛍光灯の光の下、表紙・内容ともハードなものからソフトなものまで、読んできた(読んでいる)本の中から毎回一つの文を引用し紹介し、自分も一言述べていくというコーナーです。──端から「看板に偽りあり」などとお責めにならぬよう。── 私ヨンデルが感じたこと考えたことを、スローに、舌鋒鈍く、たどたどしく書き綴っていこうと思っています。

 

────

われわれはふつう、「同等な人には同等のものが割り当てられているはずだ」と考えている。

 だが、この点に関して難しい問題が生じる。何において同等かという問題だ。それは分配されるものと、それにかかわる美徳によって決まってくる。

 たとえば、笛を配るとしよう。最もよい笛をもらうべきなのは誰だろうか。アリストテレスの答えは、笛を最も上手に吹く人だ。

────

(242頁)

 

 周知の通りの大ブーム、しかもそれは継続中といってよいでしょう。いわゆる“流行りもの”に乗ることはあまりない私にも、これはおもしろいと思いました。

 

 2010年9月10日発行の「紀要 ウルトラマン批評」第7号の拙論「ダンとのダイアローグ(一)─非戦の理想への対話─」で、自説展開の補強として小林正弥『非戦の哲学』から引用しました。同世代の政治哲学者の、ウルトラシリーズの意義をストレートかつ的確に理解した文章による後押しは私には心強いことでした。その小林正弥が「ハーバード白熱教室」の解説を担当していてさらに嬉しい驚き。私は冬の再放送で初めて視聴したので、「紀要」脱稿時にはそうと知らず、時流に乗って“後出し”で引用したのではなかったのです。でも、正義、非戦といったテーマのつながりからして、単なる偶然ともいえないでしょう。また、紀要の編集代表である神谷和宏さんは先々月に『ウルトラマンと「正義」の話をしよう』(朝日新聞出版)を上梓されました。ウルトラマンの本質論を展開する数少ない市販書、この筋の「専門書」でありつつ、広汎な話題を含み、ウルトラに詳しくない一般の方々にも十分読み応えがある本です。こちらもどうぞご一読を。

 

さて、上記は「第8章 誰が何に値するか?──アリストテレス」から引いたのですが、その直後に置かれたアリストテレス自身の言葉(『政治学』から)も孫引きしておきます。

 

────

家柄の良さや美しさは笛を吹く能力よりも大きな善かもしれない。全体的に見れば、そうした善を持つ人がそれらの資質において笛吹きに勝る度合いは、笛吹きが演奏で彼らに勝る度合いよりも大きいかもしれない。だが、それでも、笛吹きこそが彼らよりよい笛を手にするべきだという事実は変わらない。

────

(243頁)

 

 いいねぇ、アリストテレス。「笛吹きになりたければなれる(道はある)」という主意主義リベラリズムよりも、「笛吹きであるべき人がそうあれ(る)」という目的論的な美徳─善に、私は共感します。