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シューチョのブログ

ひとりぼっちの宇宙人 (36)

第 III 章 短編SFとしての『ウルトラセブン

 

   第43話「第四惑星の悪夢」(1)

 『ウルトラセブン』全挿話中、実相寺昭雄監督によるものは4本ある。「狙われた街」「遊星より愛をこめて」「円盤が来た」および本挿話である。この中では「狙われた街」の人気が最も高い。パチンコのCMにも使われ、そのこととはタマゴとニワトリの関係だろうが、『セブン』といえば「狙われた街」・メトロン星人・ちゃぶ台囲み、という認識が広まっているようだ。それは、通念としてはむしろ「史上最大の侵略」の感動にも勝って巷に行き渡ってしまっているのかもしれない。どうしてこうなるのか。どうしてもこうなるのか(→注2)。

紀要『ウルトラマン批評』3号の拙稿「《光らぬ光》の挿話──『零下一四〇度の対決』──」にも書いたのだが、実相寺挿話は『ウルトラセブン』全体の中ではあくまでイレギュラーな作品として位置付けられるのがふさわしく、それゆえの価値を持つ。名作として評価の定まった「史上最大の侵略」や「ノンマルトの使者」などを別にしても、実相寺作品のほかに大事な挿話がいくつも挙げられる。例えば「零下一四○度の対決」は「ノンマルト」以上に重要かつ傑作なのである(→注1)。思いきって書くが、『ウルトラセブン』の作品世界自体は実相寺挿話が無くても成り立つ。それがすなわちイレギュラーということである。が、今挙げた「史上最大」「ノンマルト」「零下一四○度」の3本については、これらがなくてはもはや『ウルトラセブン』は成り立たない。実相寺の3本とこの3本とでは、全体の中での位置と意味の質が、それだけ異なるのである。

と、いささか実相寺挿話について辛く評し過ぎたかもしれないが、このくらい書いてやっと巷の評価とのバランスがとれると思う。

実相寺挿話のうち、『ウルトラセブン』の作品世界全体との関連で最も重要なのが本挿話「第四惑星の悪夢」であろう。といっても、本挿話には「ダン=セブンの二重性」は表出されない。本挿話は、『セブン』のもう一つの重要な側面である「短編SF」の挿話群における代表なのである。

注1:『ウルトラマン』第34話「空の贈り物」における、ハヤタがベータカプセルと間違えてスプーンをかざすシーンなども同様である。「ウルトラマンって、正義の味方のウルトラマンが怪獣をやっつけるっていう単純な話と思っていた?違うんですよ、こんなおもしろい面もあるんですよ」などという「単純な話」は、少なくとも真の“通”のする解説ではなかろう。

注2:このことは本稿の「零下一四○度の対決」の項を読んでもらえればわかる。同項をリファインして新たな視点も付加して大幅に改稿したものが紀要の拙稿「《光らぬ光》の挿話」である。