音楽の編み物

シューチョのブログ

ウルトラセブン生誕49年 (3)

以上に挙げた12挿話から,さらに数をしぼってみましょう。すると,次の3本になりましょうか。

第17話「地底 GO! GO! GO!」
第25話「零下140度の対決」
第48・49話「史上最大の侵略」

この3本は『ウルトラセブン』のいわば「屋台骨」,『ウルトラセブン』の作品世界を知るための必須挿話といえるでしょう。もちろん骨組みだけでは作品を十分にはたのしめないともいえるわけで,これらだけでよいということにはなりませんが,肉付けとして他にどれを加えようと除こうと,この3話の視聴は必要条件となります。特に特に

第25話「零下140度の対決」

は重要です。

「零下140度の対決」は『ウルトラセブン』全体の中心であり要約となっているのです。「中心」というのはもちろん第一には内容に関してですが,単純に形の上でも全49回のうちの第25回というのはちょうどぴったり真ん中!なのです。先のセレクトにおいても,前後編を区別して数えると14個中の真ん中である8個目になりました。

「零下140度の対決」において,ウルトラセブン,モロボシダン,友里アンヌ,ウルトラ警備隊地球防衛軍,侵略宇宙人,怪獣…といった存在の意味とそれらの相互の関連・必然性について,過不足なく示されていく。「これらが登場する物語ならばどのような物語となるか?─このような物語になる」という,制作/脚本の意図といった意味をも飛び越えた帰結がある。もちろん,「単に示されるだけで,話自体はつまらない」ということではなく,一種の感動的な物語展開の中で示されるのであり,しかもそこでの感動自体が『ウルトラセブン』の要約だからこそ起こる種類のものとなっている。そういう連動があります。圧巻です。「フィクションの自己活性化」の極みです。──そうです,まさに最終挿話「史上最大の侵略」がそういう挿話なのですが,「零下140度の対決」はそれに匹敵するのです。ただ,「史上最大の侵略」に比べ,はるかに地味で渋い出来映えであるために,気づかれにくいだけです。

ウルトラに限らず特撮に限らず連綿と作られてきたあらゆる「一話完結の連続TVドラマ」の中でも,このように「作品全体の本質をすぐれて要約した挿話を自己に内包している」ということはめったにないでしょう。「一話完結の連続TVドラマ」の通史というのはさすがに私の手には余る仕事なので証拠は示せませんが,ここまですぐれた要約性としては,おそらく『ウルトラセブン』「零下140度の対決」が唯一といっていいと思います。

巷に数多ウルトラセブン論あれど,「零下140度の対決」に対してこのように指摘するのは,どうやら私シューチョのみ。2007年1月に旧ブログ上に発表(当サイトにも掲載中),それをさらに進め深めた「決定版」である拙稿『「零下140度の対決」─《光らぬ光の挿話》─』が,神谷和宏さん編集の紀要「ウルトラマン批評」Vol.3(2008年1月)に掲載されました。以前にも以後にも,私は類似の論考に出会っていません。何かあればぜひお教え下さい。