音楽の編み物

シューチョのブログ

《光の授受》の挿話 ─ナゴール的な、もしくは非ナゴール的な─ ウルトラマン第一話の形態学

『シン・ウルトラマン』、『シン・ゴジラ』よりはずーっとよかった(笑)。いずれ何か書こうと思います。

 

さて、「《光の授受》の挿話─ナゴール的な、もしくは非ナゴール的な─ ウルトラマン第一話の形態学」note上の6回の連載─マガジンがようやく完結しました。アイキャッチ画像もリニューアル。ただ、前回の投稿にも書いたように、コスモスの指人形は手に入らず、ソフビと指人形の混在するものとなりました。コスモスに特別感が出るのは本稿の内容にも沿っているので、これはこれでいいかな、とも。訪れてもらえれば嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。

 

https://note.com/syu_tyo/m/mb415987379e5

 

ウルトラマン(総称)には、“変身の相方”の人間がいる「不同型」と、ウルトラマン自身が人間に変身している「同一型」とがあります。多数派は不同型で、『ウルトラマン』(1966年)から『ウルトラマントリガー』(2021年)までの24作のうちの18作が不同型で、全体の4分の3を占めます。本稿では『ウルトラマン』『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンエース』『ウルトラマンタロウ』『ウルトラマンティガ』『ウルトラマンダイナ』『ウルトラマンガイア』『ウルトラマンコスモス』『ウルトラマンマックス』の9作品の第1話についてその不同型主人公の《光の授受》の場面を比較しています。私の普段の専門(笑)は「同一型」のモロボシダン=ウルトラセブンなんですが、本稿で初めて不同型について論じてみたのでした。

 

本稿を進めるうちに、意外にも?『ウルトラマンダイナ』について改めて興味が湧きました。『ダイナ』の第1話には、今まで気づかなかった「不同型/同一型の分類」の“奥行き”のようなものが少し表れているように思えたからです。『ダイナ』は、同一型とはもちろん違い、不同型に分類されますが、他の不同型とは微妙に異なるともいえます。《光の授受》以前のダイナの存在が明確でないのですね。このようなあり方は今回採り上げた9作の中では『ダイナ』だけです(→注)。《光の授受》場面で、光を授ける存在が「光の巨人=ダイナ」としては現れず、まさに「光のみ」が現れます。なるほどこの端緒がすでに、あの最終回への布石となっているのか…とも。


シン・ウルトラマンも、─ネタバレに気をつけつつ言うと─ダイナとはまた意味合いの異なる“微妙な面を含む”不同型、といえそうです。──いや、あるいは同一型でしょうか?…

 

注…タロウも《光の授受》以前には存在しませんが、「タロウ自身の誕生」の意味合いを持つ『タロウ』の《光の授受》としてはそれが当然といえます。また、《光の授受》を担うのはタロウ自身ではなくウルトラの母(やウルトラ五兄弟)であり、まさに明確に存在し、それでこその《光の授受》となります。

 

===連載初回「まえがき」===
ウルトラマンの“存在の仕方”には、ウルトラマンとそれに変身する人間が別人である場合と、ウルトラマンの方が人間の姿に変身している場合(同一型)とがあるのは周知の通りです。前者は憑依型とも言われるようですが私の用語では不同型と呼びます。

この「《光の授受》の挿話─ナゴール的な、もしくは非ナゴール的な─」は、平成第2期までの主な不同型ウルトラマン9作品の第1話について考察したものです。

もともと私の関心は、ウルトラセブンをはじめとする、少数派の(苦笑)同一型に対する方が大きく、それは今も変わりません。が、6年ほど前、平成第2期までのほぼ全作に渡ってその第1話=物語の端緒を比較しつつ論じてみようと思い立ち、進めるうちに、まず不同型だけをまとめて扱うのが適当と考えるに至りました。それから数か月で「光の授受の挿話」としてほぼ完成したものの、発表の機会のないまま眠らせていました。今回、noteデビューの記念として公表してみようと考えました。連載という形にして数回に分け、手を加えつつ徐々に投稿していく予定です。

以上のような経緯ですので本稿のベースのアイデアは2015年頃のものであることをお断りしておきます。