音楽の編み物

シューチョのブログ

クリ拾い (6) ──ULTRASEVEN X

 オンエアの日が迫った『ULTRASEVEN X』に触れておかなければなりませんね。毎日放送では10月6日土曜深夜3時25分からの開始だそうです。

 僕は今年の初めに、思索日記(17)(18)で 「セブン40周年の記念の年に、リメイクを見たい」と書きました。

メビウス』で、80までのヒーローおよび主人公を演じた俳優を登場させたのは、40年めだからできたことです。これが、「生誕50年」になると、アニヴァーサリー度はアップすれども、『メビウス』のような盛り上がりとは別のものにならざるをえないでしょう。その意味で、円谷プロは「外していない」と思います。これは、ひとまずあっぱれ。

しかし、「ウルトラセブン生誕40年」というのは、「ウルトラマン生誕40年」とは違い、「ウルトラマンタロウ生誕35年」「ウルトラマンティガ生誕10年」などと同じ、個別の意味しか持っていません。とすれば、やることは違ってくるでしょう。

案の定、何も企画されないということはありませんでした。が、僕はULTRASEVEN Xの意匠を見て小さな溜め息を漏らしました。セブンを愛するすべての人々がきっと同じ反応だったでしょう。新作は嬉しい、カッコもわるくない、しかし、やっぱり違う、いや、まあ、重々予測していたことではあるさ…という感じですね。

 いずれ「ひとりぼっちの宇宙人」で詳述しようと思っていたことに「スーツアクター論」があります。あまり話題に上ることがないようですが、ウルトラマン(総称)自身の演者というのは、たいへん重要です(注1)。作品世界のまさに肉付けについて大きな意味を持ちます。で、セブンの(メイン)スーツアクターが上西弘次であること。そのことが、作品世界の品位・キャラクターの性格をはっきりと肉付け、決定づけています。「ひとりぼっちの宇宙人」の「ウルトラ警備隊西へ」の項で「森次のダン性─ダンの森次性」に言及しましたが、それと同様に、「上西のセブン性─セブンの上西性」と呼べる事物・事象が確かに映像に刻印されているのです。

われわれにとってウルトラセブンとは、顔と身体のデザインだけでアイデンティファイされるのではありません。古今のヒーローデザインの中でも屈指のあの意匠造型全体が、立派な長身の古谷敏が演じるウルトラマンとは明らかに違う、小柄で細身の、頭身の値の小さい、上西弘次のシルエットに収まることで、はじめて“本物のウルトラセブンの姿”となるのです。ウルトラマンタロウはセブンに角が生えてカラータイマーが付いただけなのに、それ以上に決定的に違う。タロウの身長の高さこそ、セブンに似ない最大の理由です。僕は子ども現役時分には、何か違和感を感じつつも、この認識ははっきりとは持てていませんでした。──あんまり書くと「ひとりぼっちの宇宙人」本編で書くことがなくなるので(笑)ここではこれくらいにしておきます。

 そして、ULTRASEVEN Xの筋肉隆盛の肩と胸板、割れた腹筋。それは一目見た瞬間、もう「ウルトラセブンではない」のです。

デザイナーの一言を読む(何かの記事で目にしましたが出典不明)と事情がさらに呑み込めます。デザイナーがオリジナリティーを出そうとした結果の一つだそうです。自分のオリジナリティーと、キャラクターの本質と、どちらが大事なのでしょうか。何をどう変えても、結果がよければよいのですが、少なくとも、本編未視聴の段階の静止画像の印象の“仮結果”は、かんばしくありません。この“姿”が、本編で動いたとき、古谷マンや上西セブンがそうであったように、作品世界の必然的な肉付けとして、視聴するわれわれを「なるほど」と唸らせられるのか、「こうでなくては」という品位を獲得するのか…。真の結果については、もちろん本編の映像を待たねばなりません。

公式サイトの「オリジナルセブンとの違い」の項を見ると、「オリジナルのウルトラセブンとの関係は」「同一人物なのか」「それこそが、全話を貫く最大の『謎』」ということらしいです。メタモルフォーゼか何かの筋を持って来るのかな。険しい環境に置かれ厳しい体験を経て適応・進化・成長した同一人物、だとか。DNAを受け継ぐ進化体だ、とか。

「セブンとXとは違うんだから、“年寄り”がかってに嘆くな」と返されるだけなのを百も承知で書いている自分がいます。違うのは当然であり、『ウルトラセブン』ではなく『ULTRASEVEN X』なのですから、それこそ僕の言うリメイクではなく、目くじらを立てることではないのかもしれません。

でも、やはり、ULTRASEVEN Xの意匠には、どこかに無理があるように見えませんか。例えば、iMac。初代から現在の4代め?まで、あれだけ変化しながら、新しいモデルが提示される度に、少なくとも僕のようなライトユーザーには、それがあたかも必然的なごく自然な進化の結果であるかのように見えてしまう。セブンのデザインも、iMacが成し遂げているような、それ自身の深化・発展の“アカシックレコード”?(注2)に沿ったものであってほしい、と思うのです。

注1:『M78星雲より愛をこめて』(2003年、文芸社)の著者・神谷和宏さんが編集代表で、僕も執筆陣に加えて頂いている『紀要ウルトラマン批評』という研究誌があります。この第2号で、スーツアクターというテーマに関する総論的体系的な論稿が登場。大いに刺激を受けました。もっとも、僕の方は、少なくとも「紀要」においては、しばらく、変わらずに「微細各論路線」で行くことになるかと考えていますが。

注2:いわゆる「平成ウルトラセブン」の最終5部作の最終挿話「アカシックレコード」になぞらえました。宇宙の全惑星には、「アカシックレコード」呼ばれる、そこの全生物の過去から未来に渡る進化発展の歴史が決定づけられ刻まれた記録がある、という筋立てです。アカシックレコードは、本編では、大きな記念碑のようなものとして映像表現されています。