音楽の編み物

シューチョのブログ

ハカイダーの悲劇

── note にアップした拙稿の短縮版です。こちらではサワリの部分を惜しみなく公開(笑)。よろしければワンクリックで note の方の完全版

 

https://note.com/syu_tyo/n/n7c954856a738

 

にも訪れて頂けるととても嬉しいです。お読み頂けるとなお嬉しいです。完全版では下記より長い本論に加え、「血液交換の時間」や服部半平について書いた補論もあります🙂。──

 

 

===まえがき===

30代の時に書き上げたものにかなり手を入れた一方で、随所のハカイダーへの思い入れの綴り方は“若書き”のままです。今の自分としては気恥ずかしさ半分ですが、その雰囲気はあえてそのまま残しておくことにしました。

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悪の戦士・ハカイダー。『人造人間キカイダー』に登場する ジロー>キカイダーの宿敵。その姿形からして主人公のジロー>キカイダーを凌ぐ魅力を放ち、全身黒一色、脳が透けて見えるトランスルーセントの頭、ブラックジャックの手術痕にも似た、頬を斜に走る黄色い稲妻、胸板と肩幅を強調する半月型の鎧、腰にではなく脚に備え付けられた銃、この造型美・意匠美🌝。等身大ロボット系の造型・意匠として、このハカイダーを凌ぐキャラクターは未だに出ていません。

 

ハカイダーが古今の悪のキャラクターの中で一際異彩を放つのは、彼が光明寺博士の脳を自らの頭脳とするサイボーグだからです。完全な人造人間=ロボットである他のダークロボットや ジロー>キカイダー 自身よりも、唯一人間の脳を持つハカイダーの方が、より人間に近い存在、“人間的な存在”なのです。

 

さらに、飯塚昭三氏の「声の凄み」が、ハカイダーの存在形成の大きな部分を占めています。ハカイダーのかっこよさは、ハカイダー自身の声の迫力を伴ってこそのものです。ハカイダーの飯塚性、飯塚のハカイダー😌

 

加えて、挿入歌「ハカイダーの歌」のすごさ。中学時代、夕方の再放送が始まったとき、何より「あのハカイダーの歌がまた聴ける!」と喜んだものです。渡辺宙明全作品中の屈指の名曲。このハカイダーを歌う曲として、どこもかしこも「こうでしかない」という驚きの完成度。逆に、この曲あってこそハカイダーの存在の意味が定まり、その存在感が揺るぎないものになったともいえます。

 

ハカイダー語録🐰

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キカイダーはこの世で俺のただ一人の強敵だった。キカイダーとの勝負だけが俺の生き甲斐だった」

「そのキカイダーを倒したアカ地雷ガマ、俺はおまえと勝負しなければならん」

注:この2つは詳しくはサブロー(ハカイダーの変身前の姿)の台詞。

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「俺は、俺は何だ!俺は何のために生まれてきた?アカ地雷ガマは倒した。キカイダーは死んだ。これから、俺は何のために生きていくんだ」

「俺の目的は何だ。こんな姿で、俺はどうやって生きていくんだ」

憎い!俺を造り出したプロフェッサー・ギルが憎い」

注:ジロー>キカイダー はアカ地雷ガマの爆弾で空中分解するも、その後蘇生。

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「奴は強い、俺よりも強いどうせなら、キカイダー、俺はおまえに、おまえにやられたかったぜ

注:「奴」とは、ギルが送ったハカイダー・キラー=白骨ムササビのこと。

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キカイダーよりも強く、キカイダーを倒せる唯一の存在であったはずのハカイダーは、キカイダーに、勝てば存在意義を喪失し、負ければ自分が倒れる、そのどちらかでしかない存在でした。そして実際はというと、真偽不明のまま、白骨ムササビの凶牙に倒れました。いずれにおいても彼には死しかなかったといえます。自分の存在意義自体が自分の存在を必然的に否定してしまうという、根本的矛盾。ここに《ハカイダーの悲劇》があります。まさに、「ハカイダーの歌」に歌われる通り、ハカイダー自身にとっては、「キカイダーを破壊」するという「俺の使命」こそがそのまま「俺の宿命」であったということになります。

 

ハカイダーの最期の言葉、それは、自分の存在の支えであった宿敵・ジロー>キカイダーに向かって、「俺を倒した奴を、おまえは倒せるか?」と問い、「俺が倒されたかったおまえにこそ、奴を倒してほしい」と願った、凝縮された言葉だったに違いありません。