音楽の編み物

シューチョのブログ

柳宗悦『工藝の道』(やなぎむねよし、講談社学術文庫、2005年)

2009年から数年に渡って、何冊もの文庫本に収められた柳宗悦の幾多の著述に触れてから、柳の文章に自分の内面の思考と外向の実践とを支えられてきました。民藝にあやかって楽藝(['gakugei]:第1音節にアクセント)と称して、トリカード・ムジーカの活動を続けてきました。トリカード・ムジーカに限らず、指揮であれクラリネット吹奏であれ、どこかで何かを為すときはつねに一本の筋を意識しています。……といっても、柳の民藝と自分の音楽活動とが具体的にどうつながっているのか、うまく説明はできません。そもそも直接のメタファー/対応はどうにも成り立たない気がするし、まさに相反するようでもあるし、誤解しているかもしれないし、大きくずれているのかもしれません。それでも、何かが通じている、どこを向いて生きればいいのかを学んできた、というこちらからの勝手な確信だけは抱いてきました。

 

柳宗悦研究の第一人者である中見真理さんが、ご講演で(だったか著書『柳宗悦 時代と思想』の中でだったか)、「柳は金太郎飴のように同じことを繰り返すが、その筆力に引き込まれる」というような意味のことをおっしゃっていた(書かれていた)記憶がありますが、その通りで、「直観によって、無名の美を見出し、愛で、運動によってそれを守り、また広げる…」といったことが、ひたすら述べ続けられます。しかし読んでも読んでも飽きることはないのです。まさに著者本人が飽きずに書いているからでしょう。その奥にある抑えた情熱に、心惹かれ頭惹かれ続けてきたのです。

 

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「多」と離れることによって「孤」を守るべきではなく、「孤」を「多」の中に活かさねばならぬ。

===(182頁)===

 

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美を保証しない制度を正しい制度ということはできぬ。私たちは美の実現のために正しい社会を喚求する。

===(186頁)===

 

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美しい工藝には、いつも協団的美が潜む。離叛と憎悪との社会から、美が現れる機縁はない。美の背後には何らかの意味で愛の血が通う。神への愛、人への愛、自然への愛、正義への愛、仕事への愛、物への愛、かかるものを抹殺して美の獲得はない。

===(188頁)===

 

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私は私の思想をすべて私の直観と内省との上に築くことを余儀なくされた。その結果一般の見解との渡りがたい間隔が一層意識せられた。私が観じて最も美しいとするものは、かえって史家が最も無視する分野に属する。

===(207頁)===

 

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