音楽の編み物

シューチョのブログ

マァイケル・ヨンデル「ハードカバーと白熱電球」(8)

  野間秀樹『ハングルの誕生 音(おん)から文字を作る』

  (平凡社新書、2010年)

 

 こんにちは、マァイケル・ヨンデルです。

 

 ハングルの表音文字としての合理性について、薄々は知っていたつもりですが、その様相が想像以上にすごいことをこの本に教わりました。字母の形が口内の形を模した、これほど精緻なものであったとは。また、ハングルとは国=王(の側) が「人工的」文字を新たに作って与えたもの、ということも、平板な教科書的知識として入ってはいましたが、本書によるその歴史の叙述の迫力には息を呑みました。

 

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 王は最高権力者であるから<革命>などとはいえない?違う。王が<正音エクリチュール革命>で闘う相手とは、王などとは比較にならないくらい強大な相手であった。それは、歴史が書かれて以来今日までを貫く、<漢字漢文エクリチュール>である。闘う相手は、歴史そのものであり、世界そのものであった。巨大なエクリチュールの歴史の前では、史書、即ち書かれた歴史を繙(ひもと)けばわかるように、王は諡(おくりな)で呼ばれる、書かれた数文字の固有名に過ぎない。

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(184頁)

 

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衝撃度だけの比喩に過ぎないが、<正音>の提起は、今日の日本語の仮名の部分は全てグルジア文字に変えようとか、アラビア文字にしようといったような衝撃、あるいはそれ以上の衝撃だったと思えばよい。見たこともない文字にしようというのである。それも今まで書かれたこともなかった<話されたことば>を書くぞと。人々の信の厚い圧倒的な賢者が、国家権力の中枢にいて、ある日突然、漢字や仮名をやめて、私が作ったこの文字を使えというような衝撃。

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(195頁)

 

 現在、この(日本の?日本だけ?)世の中では通常、大きなことから小さなことまで、理想・真正を掲げずに「いろいろ事情があって一朝一夕には行かない」とかいう物言いの方がまともとされることの方がどうやら圧倒的に多いようです。理想・真正を曲げない者の行為と言論は無知で甘いとされ、それよりも、理想・真正へ向かう行為は何一つしないままそれらの対義語として「現実」の語をあてがって様々な物事に対して「事情通」として得意げに評価を下す連中の方が幅をきかせているといえます。口だけ。で、口だけでも良いことを言うならまだしも、つまらんことばかり言う、という…。それを思ってみれば、一五世紀の朝鮮はどうであったか知り得ませんが、訓民正音の過激性は確かに想像を絶するものがありますね。