音楽の編み物

シューチョのブログ

マァイケル・ヨンデル「ハードカバーと白熱電球」(5)

  前田英樹『日本人の信仰心』(筑摩選書、2010年)

 

 こんにちは、マァイケル・・ヨンデルです。

 

 一昨年秋から、柳宗悦に傾倒しています。そのきっかけは二つありました。一つは鳥取で出逢った『限界芸術論』が柳について触れていたからです。そしてもう一つが、模試の試験監督の仕事でたまたま「国語」の時間に当たり、その現代文の問題のテキストになった、前田英樹の書いた柳宗悦についての文章(『独学の精神』(ちくま新書、2009年)からの引用)に惹かれたことです。以後、前田の著書も何冊か読みました。その最新刊が『日本人の信仰心』です。いつもながらの前田の強い文体、対象となる偉人・先人への一筋の深い尊敬の念に由来する確信に満ちた文体は、読むのが愉しく、それはこの最新刊でも十分活きていると思います。

 

本書で、保田與重郎(やすだよじゅうろう)について初めて知りました。彼の「絶対平和論」には、えも言われぬ凄みがあり、前田の文体がその迫力を増幅します。

 

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戦争放棄」と無軍備とが、日本国憲法の最も重い点、「信義を解する協賛者の必ず守るべき第一のもの」(同前)だということは疑いがない。けれども、そんなことは余りにわかりきったことだ。戦争に反対すれば戦争がなくなり、戦争がなくなれば平和な生活が来る、という考えは幼稚と不誠実の入り混じった空想に過ぎない。平和生活は戦争状態の反対物とは違う。平和生活は、それ自体が絶対物として成り立つ原理を持っている。その原理は、政治のそれではない。生が取る根本の形態である。このような原理に根差した生活が立てられるなら、戦争は排されるものではなく、私たちにとってただ無関与なもの、あるはずのないものになるだろう。

────(74頁)

注:「(同前)」とは「(「絶対平和論」)」を、すなわちそこからの引用であることを意味する。

 

まとめてしまうと、保田は、水田耕作による農耕社会としての日本の道ということを言っています。と、当然ながらこれはしかし、いかにも短絡的で安直なまとめに過ぎません。本書は、上記の前後はもちろん、全体にわたって保田に触れ、保田の思想が、単なるアナクロとして斥けられるには惜しい、また、右翼的国粋的言説にもそれと対極の(偽)左翼的空論的理想論にも終わらない(ということはそれらすべてを包摂しているとも言えますが)、現代のわれわれが参照すべき広がりと深みを持つことを示してくれます。また、前田は「はしがき」で以下のようにも述べます。

 

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 それから、これだけは断っておきたいが、ここで書いている「日本人の信仰心」のなかに、私はいちばん無垢な、普遍的な信仰の命を観ようとしているのであって、それが日本人だけのものだとは少しも思っていない。それは現実にあるどの民俗、どの宗派の占有物でもない。けれども、その信仰心は、古い日本のなかに、この国が日本と呼ばれるよりもはるかに古いこの土地のなかに、ほんとうに生まれ、それは今でも耳を澄ませばこの土地の深く隠れた水脈のように、かすかな音を立てているのである。

────(8頁)

 

「主観を通じて普遍に至る」という私の提唱する演奏表現論にも通じる、《普遍と固有の交響》。芸術、文化、社会、政治、……何について考えるのであれ、人間世界の本質を見据えようとすると、ここに辿り着くのではないでしょうか。上記引用の最後の文に倣えば、自分の西洋芸術音楽/“クラシック”音楽の演奏活動を、「この土地のなかに、ほんとうに生まれ、それは今でも耳を澄ませばこの土地の深く隠れた水脈のように、かすかな音を立てている」かのように位置づけることが、私の一つの理想です。