音楽の編み物

シューチョのブログ

ひとりぼっちの宇宙人(8) I.2-1

第 I 章 ダン=セブンの二重性

2 ダンとセブンの異質性 

2─1 《ウルトラセブン》と《モロボシダン》 

  ウルトラ警備隊 

 『ウルトラセブン』の作品世界にとって、ウルトラ警備隊は欠かせない。警備隊あるいは地球防衛軍というものの存在自体も重要なことはもちろんだが、本論で特に焦点を当てるのはそのことではなく、ウルトラ警備隊の6人の隊員の、人間としての存在である。『セブン』では、彼ら一人一人の個性がそこここに描かれている。ダンとアンヌについてはもちろん、キリヤマ、ソガ、アマギ、フルハシの4人についても、脚本、演出、演技のすべての面から、その個性/性格が鑑賞者に伝わるように作られている。それとなくさらりと、しかし着実に。だが、それでいてあくまでも、彼らの個性/性格・人間心理・人間関係の物語を微細に描くことが『セブン』の作品世界の主題なのではない。『セブン』はあくまで(子ども向け)SFエンターテインメントである。ここが重要な点である。例えば、『警部補・古畑任三郎』最終話の小暮警視と古畑の最後の会話。例えば、『刑事コロンボ』「別れのワイン」における、ワインの権威である犯人とワインを勉強したコロンボとの交流。いずれも倒叙形式の推理エンターテインメントでありながら、あるいはそうだからこそそのフィクションを生かしたために生まれた、心に残る名シーンである。ウルトラ警備隊の6人の性格および彼らの人間関係の機微も、シリーズ中、そこここで、これらの例に引けをとらない場面を生み出す。そこには号泣もなければ爆笑もない。清清しく、ほの悲しく、ふと微笑みを誘うのだ。「愛と感動」を声高に安売りする映画興行とは対極的な世界なのである。ウルトラ警備隊の6人の一人一人に焦点を当てた、いわば「キリヤマ論」「ソガ論」「アマギ論」「フルハシ論」については第III章を、特に「アンヌ論」については第IV・V章を待たれたい。そして本書全体が「ダン論」であることはいうまでもない。

  《ウルトラセブン》の由来 

 《ウルトラセブン》という名前の由来が全挿話を通じて遂に明らかにされないことは既に述べた。初めてこの名前が呼ばれるのは第2話「緑の恐怖」においてである。ワイアール星人と闘うセブンを見てアンヌが「ウルトラセブン、がんばって!」と叫ぶのだ。これはどう考えても予め付いていた名前をその場で叫んだ言い方だ。ではいったい誰がいつそう名付けたのか。実は、《ウルトラセブン》の《ウルトラ》というのは《ウルトラ警備隊》の《ウルトラ》なのである。 ──筆者は昔、この《ウルトラ警備隊》という名前が嫌いだった。子ども心に、ウルトラの名前が隊の名前になっているのがどうしても幼稚に思えたからである。科学特捜隊とかMATとかの方がカッコいいと考えていた。しかし、『ウルトラセブン』については事実認識が逆転していたということだ。つまり、ヒーローの名の方が警備隊の名をとって付けられたという設定なのである。── そして《セブン》はもちろん《7》だが、これには「ウルトラ警備隊7人めの隊員」という意味が含まれている、というのが企画設定である。しかしそこまでなら作品世界の外での話だ。では作品世界の中ではどういう過程で名付けられたのか想像してみよう。ウルトラ警備隊員の誰かが、あるいはみんなで雑談する中で、あの謎の宇宙人を何と呼ぶか考え、われわれと共に地球と人類のために闘ってくれる勇者という意味を込めて「ウルトラ警備隊の7人め」と名付けた、というところだろう。セブンが人類に初めてはっきり姿を見せたのは確かにダンが臨時隊員になったときよりも後のことであるし、この架空の「名付けシーン」が例えば第1話「姿なき挑戦者」中に挿入されるとすれば、作戦室での次のシーンよりも後になるだろう。

───

フルハシ「いやあ、今度の事件になくてはならなかったのは、あの風来坊だな」

ソガ「まったくだ」(一同頷く)

アンヌ「そう言えば彼、どこ行ったのかしら」

ヤマオカ長官「ここだよ、諸君!紹介しよう。モロボシダン隊員だ。今日からウルトラ警備隊員としてさっそく勤務についてもらう。」

───(金城 DVD[99a]:1)

 この後で、クール星人の事件の解決を喜び合う中で「ところであの謎の赤い巨人も…」という話になっていく、というのが自然である。クール星人事件を振り返る時、同じ人間である風来坊ダンの方が話題として先に出てきて、そうしたらそのダンが隊員となって紹介され、以後6人で《ウルトラセブン》の名前を考える会話となったに違いない。

 お分かりだろうか。モロボシダンはウルトラ警備隊6人めの隊員、ウルトラセブンは7人めの隊員なのである。ほんとうはダン=セブンでありながら、名前自体は別人であるように与えられたのだ。「正体は誰も知らない」というだけなら他のシリーズと変わらないが、人類から見たときのヒーローの名前の由来とその地球上での姿の存在意義が、このように接近しながらもかつずれてもいる、というのは『ウルトラセブン』だけである。ダン=セブンという同一性の一方で、この微妙な存在のずれ=異質性も同時にある。このことが『ウルトラセブン』の作品世界において一層味わい深いエピソードが生まれる理由となったのだ。