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シューチョのブログ

ジョセフ・ラズ『価値があるとはどのようなことか』

ジョセフ・ラズ/森村進  奥野久美恵  訳『価値があるとはどのようなことか』(ちくま学芸文庫、2022年)

 

私が思うに、価値の普遍性テーゼと価値と理由との結び付きとが、それ自体として、実践的合理性において最大化を志向する態度、つまり〈すべてを考慮に入れた上での合理的な態度とは、すべての可能な選択肢のうち期待値が最大となる行為を選択することである〉という見解への加担を必然としている、と考えることは間違いである。
===(16頁)===

 

経済的価値の最大化や教育機会の促進・最大化、人々の寿命を伸ばす確率の最大化等を語ることには意味があるかもしれない。しかしもし私の選択が、ヤナーチェクのオペラ『イェヌーファ』のすばらしい公演を観ること、哲学者ジェラルド・コーエンの新刊を読むこと、ダンスパーティーに参加することの間での選択であったとき、どの選択肢が最も善や価値を促進し、あるいは生み出し、どれが善を最大化するのかと自分自身に問いかけるのは意味をなさないように思われる。
===(16─17頁)===

 

 前章では、価値の普遍性に対する疑念を生み出す源泉の一つを検討しました。大雑把に言えばこういうことでした。──私たちにとって最も重要なものの中には、対象が唯一であるために唯一固有である愛着が含まれると多くの人は信じている。そのような愛着の価値もまた、唯一固有だ。そうした愛着に価値があるのは、そうした対象への愛着であるがゆえだ。対象が唯一固有なので、その価値もまた唯一固有だ。しかし、価値の普遍性は、価値が唯一固有であるというテーゼと両立しないではないか──。こういった反駁です。
===(57頁)===

 

原題は Value, Respect, and Attachment = 価値・尊重・愛着(訳者があとがきで示している直訳)。


普遍的な価値(Value)と、私的な「唯一固有」の愛着(Attachment)との関連。
ベートーヴェン第5冒頭の動機を「これはベートーヴェンのこぼした涙の粒である」として、弓を飛ばさずに撫でて弾く、おそらく世界で?唯一固有の表現。それは間違いなのか。間違いではないにせよ、普遍的ではないのか。だとして、「当人はそれを普遍的と捉えるからこそそうする」こととどう整合するのか。同時にまた「自分の感じ信じるところに正直であろうとしてそうする」が、それが個人的な“感情”“嗜好”に過ぎず、だから普遍的な価値を持たないのか。逆に、仮に(仮に)こちらが普遍的だとして、では、「運命が扉を叩く」スタッカートの強奏の方が歴史的な誤りで、こちらの採る表現こそが同曲“解釈”のパラダイム転換を成しえたのか(笑)。


あえて具体的で細か過ぎる一例だけに留めましたが、演奏表現に携わる者としては、日々、常に、実践の最前線最先端において普遍性と固有性の問題に突き当たり向き合っているわけです。


そうした私の日頃の問題意識と、「規範理論・倫理学・政治哲学など多岐にわたる分野でも多くの業績を持っている(訳者あとがき、280頁)」法哲学者の著作が、何についてどこまで繋がってくるのかまだわかりません。が、少なくとも(訳書の方の)書名のような問いを主題に掲げた本は、これまで私の見聞き知る範囲にはありそうでなかったのでした。また、ちくま学芸文庫愛好家?としても、当文庫のために訳し下ろされた新刊で読めるというのは嬉しいのです。