音楽の編み物

シューチョのブログ

言の葉と音の符、楽の譜は文の森 (51)

 「歌謡界の旋律造型の名手」について書いている途中ですが、ふと、「冷めた気持ちで、音楽を頭で聴いている」との誤解を受けるかもしれない、と思い当たったので、ちょっと補足しておこうと思います。

 堺正章「さよならをするために」にせよ研ナオコ「さよならだけは言わないで」にせよ、もちろん、感動が先です。あるいは、同時といいますか、優れたフレージングそのものが音楽的感興を伴って耳に入ってくるわけですね。説明はその後です。これらを聴いている間中、僕は、「冷静な分析」の態度とは似て非なる、極めてホットな状態でいるわけです(笑)。

 それと、ここでは、旋律造型学の立場から論じているため、話をそこへ意識的に特化しています。しかし、言うまでもなく、他の観点から見てもやはりこれらはすばらしいし、だからこそ採り上げているのです。例えば研ナオコ「さよなら…」における「(後ろ姿のあなたが)見えるだけ」の発声(発話)など(2度あってそれぞれ異なりますがその2度ともが)、「語り」とも「台詞」とも異なる、まさに「歌」にだけ可能な、そして彼女特有の魅力がこぼれ出た、みごとな表現といえましょう。