音楽の編み物

シューチョのブログ

クリ拾い (28)

  C・ダグラス・ラミスガンジーの危険な平和憲法案』

  (集英社新書、2009年)

 

 8月の新刊。発行日に購入。「非暴力不服従」のガンジーを「独立の父」に持つインドが、どうしてまた核実験をやるのか、という素朴な疑問を抱きつつも、これまであまり深く考えも調べもせずにいました。本書は、その問いに対して十分過ぎるほどに答えてくれます。頁をめくる度に付箋を挟む、久々に熱い読書でした。

 

ガンジー憲法案は驚くほど具体的で細かく、これが憲法?と思ってしまうほどです。まるで「自治のためのマニュアル」のような、「人の生に近い言葉」で書かれている感じがします。そこには5人のパンチャーヤットによる村の「治め方=パンチャーヤット・ラージ」が記されています。「インドには七〇万の村がある」というのがガンジーの口癖だったそうで、そのすべての村の「サティヤグラハ=非協力」によって、中央集権国家すなわち「普通の」国家の無効化を目指した、といいます。その暁には軍隊も警察も不要だ、と。究極の理想主義。しかも現実的な理想主義。さあこれから(インドも「普通の」国になって発展しよう・防衛しよう)と意気込む国民会議の弟子たちに向かって「村へ帰れ」と諭したガンジー

 

インドのガンジー思想研究者によって「ガンジーは暴力を否定していない」と主張されることは、日本で「憲法9条自衛権を認めている」とされることとパラレルだとラミスは言います。なるほど。「軍隊無しで国家は成り立ちようがない」ということをまず前提にしてしまってから、「だからガンジーも暴力を完全否定したはずはない」「だから9条も最低限の自衛の軍備を認めていないはずはない」という「論理」。この「論理展開」を生む心情のようなものをラミスは「否認状態」という語で捉えます。ところがガンジーが文字通りの「非暴力」に本気であったことは、一番弟子のネルーによって証明されます。

 

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 私たちはネルーの正直さを評価しなければならない。なぜなら、ネルーの「現代史において妥協しなかった唯一のリーダーはガンジーである」という証言は、自分自身は妥協した一人だと告白したことになるからだ。ガンジーの思想を、自分の政治選択に合わせようとするのではなく、自分自身が(以前は己の理想でもあった)ガンジーの理想から離れたことを認める勇気があった。

────(29頁)

 

ネルーは「否認状態」には陥らず、師の主張をそのまま受け止めた上でそこから離れたのだ、と。「私は平和主義者ではない。残念ながら今日の世界は強制力なしではやっていられないようだ。我々は自分を守り、未来の有事に対して準備しなければならない。侵略その他の悪に対応しなければならない。(30頁)」との言葉が、ほかならぬガンジーに最も近かったネルーのものであるのです。それほどに、ガンジー(の理想)は孤独だったということなのでしょう。

 

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その暴力という「事実」が暴力国家の正当化の強烈な根拠になるなら、ガンジーはこの「事実」自体を変えるために、一人だけのキャンペーンを始めた。[……]、自らの命に対する危険性にまったく関心を持たず、ただひたすら殺し合いをやめるように人々を説得してまわった。中には、悔しい失敗もあれば、ハッとするような成功もあった([……])。

────(117、118頁)

 

本書の内容からは離れますが、憲法私案ということで思い出すのは、大河ドラマ獅子の時代』で、自らの憲法案の巻物を胸に抱き、それを示すべく向かった鹿鳴館の門の前で警備員たちに「危険分子」として殺された苅谷嘉顕(かりやよしあき)のことです。館内では優雅なワルツが踊られ、その音楽がそのまま彼の死のシーンのBGMとなる、という演出も、苅谷の無念さを逆説的に実によく表していました。

 

苅谷嘉顕は山田太一の生んだ架空のキャラクターではありますが、ラディカルな思想のために暗殺される、という点では、ガンジーと苅谷は同じですね。