音楽の編み物

シューチョのブログ

クリ拾い (19)

 山田太一脚本のドラマ『ありふれた奇跡』について。期待以上です。山田太一「最後の連続ドラマ」だそうです。いったん見始めると珠玉の台詞・場面が続き、一息もつけません。脚本自体はもちろん、1シーン、1アングル、その他演出のすべてが、たいへん濃い密度で描かれています。仲間由紀恵の台詞まわしがやや単調で気になっていましたが、ここ数回は改善しつつあります。お決まりの展開ではまったくなく、その場つなぎのハラハラドキドキもない──いや、そもそも「ハラハラドキドキ」というのは一種の「お決まりの展開」だと言えますが──。自殺を考えたことのある者同士の出会いの話でありながら、ときにアイルランド史までをも差し挟み、人物の性格と境遇が奥行きを持って描かれていく様は圧巻です。

視聴率は低迷しているとか。残念ですが、これだけ深いドラマを深くわかろうとする人がうじゃうじゃいる、というのもかえって嘘っぽいとも言えます。仕方ないのでしょう。「以前からのファンなので期待して見てみたが、さすがに時代に合わないのか、台詞にリアリティーが感じられない」という感想を某誌で見かけました。こういう場合の「リアリティー」とは都合のよいいい加減な意味しか持たないものですが、そもそも山田ドラマには昔から「リアリティー」などありません。山田の書く言葉が力を持つのは、リアルだからではなく、ある種の対話の理想・「ああいうふうに言えれば/聞ければいい」という「憧れのコミュニケーション」がそこに提示されるからでしょう。登場人物たちはみな不器用ながら、あるいは不器用であればこそ、型にはまらない豊かなやりとりを交わして行く。その素敵なこと。

それらを読み取れるかどうかは、見る側にかかっています。TVなんて、もともと受動的なツールなのですが、だからこそ、そこに送り手/受け手の対話の幻想というものをどこまで持てるか、ということだろうと思います。山田太一とはそういう書き手でしょう。