ひとりぼっちの宇宙人(11) I.2-2
第 I 章 ダンとセブンの二重性
2 ダンとセブンの異質性
2─2 本郷猛>仮面ライダー
~変身の二義性とヒーローのアイデンティティー、再論~
さて、以下の2項は本題からいささか離れるが、本章の付録としておきたい(2項めは次回に掲載)。
前々項「本郷猛の悲しみ」で我々は、本郷>ライダーにおいて
「特異な身体を持つ」「自分は普通の人間ではない」ということが一つのトラウマとなり、彼自身の内面において優越感ではなく劣等感を形成し、それが悲しみの源となっている
ことを見た。このことは、包含型ヒーロー/ヒロインの代表格である伊達直人>タイガーマスクと如月ハニー>キューティーハニーの2人にも共通して言えることである。
まずは『タイガーマスク』の副主題歌の歌詞に目を向けてみてほしい(→注5)。伊達>タイガーの場合は、「ひねくれて」《虎の穴》に入門し特異な肉体を得た(彼は本郷とは違いあくまで《人間》の範疇に留まるのではあるがそのことは本質ではない)ことと、その理由ともなった(副主題歌に歌われるような)孤児として過ごした子ども時代の思い出、すなわち“愛情に対する飢餓感”とが組み合わせられることで、彼特有のコンプレックスを形成するのである。孤児院《ちびっこハウス》の「あの子ら」の「幸せ」を「祈る」伊達>タイガーは、同時に、「あの子ら」の精神的支柱となるべく、(主題歌にも歌われるように)「悪党」に闘いを挑んでいく。つまり「祈る」だけではなく“闘う”のである。
如月ハニー>キューティーハニーについてはどうか。彼女には、自分の体内に空中元素固定装置を持つために「私は普通の女の子とは違う」という意識が根深くあり、そのことが彼女のキャラクターに影の魅力を与えているのだ。
いずれも焦点はヒーロー/ヒロインの個人的孤独であり、その克服の力となった愛や友情への恩義のための、あるいはそれらを守るための「闘い」が物語のテーマなのである。また「悪から授かった能力でその悪に立ち向かう」という設定も、ライダーとタイガーに共通する。自分を改造人間にしたショッカーに立ち向かう本郷>ライダーも、「虎の穴」を裏切った伊達>タイガーも、「悪の力を以て悪を打つ」のである。如月>ハニーはそうではないが、ハニーが闘う敵の組織「パンサークロー」については、それが「唯一絶対の悪」であるという点で、ショッカーや虎の穴に共通している。
本郷、伊達、如月の3人がもしも出会っていれば、境遇の似た者同士、互いの気持ち=孤独の気分をよく理解し合え、励まし合って生きていけることだろう。彼らは、“少し我に返って周囲を見渡せば、解り合える仲間がいた”“ほんとうは孤独じゃなかった”“自分だけじゃない、みんな一緒だった”のである。
《孤独の気分》を共有できたであろう本郷・伊達・如月と違い、ダン=セブンは真に《孤独の存在》であったことを、ここでも繰り返し記しておこう。
注5:文単位以上の歌詞の引用はここでは控えることにする。