音楽の編み物

シューチョのブログ

ひとりぼっちの宇宙人(3) I.1-1

第 I 章 ダン=セブンの二重性

 

 

1 ダンとセブンの同一性

 

 

1-1 ウルトラセブンとは誰か ~ウルトラマンとの相違を軸に~

 

 『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』の本質的相違とは何か。序章でも述べたが、それは、ウルトラマンとハヤタが全く別人/別人格であるのに対し、セブンとダンとは一人のM78星雲人の二通りの姿に過ぎない、ということである。このことは、一見、登場人物設定の細かな相違という単純な一点に過ぎないように思えるが、実はこれからここで『セブン』を論じるに当たって、根幹となる一点なので、ていねいに見ていきたい。

 

 

  ウルトラマンとハヤタの出会い

 

 『ウルトラマン』第1話「ウルトラ作戦第1号」の前半のあらすじはこうである。M78星雲「光の国」の超人は、地球に飛来するも、パトロール中の科学特捜隊員ハヤタの乗るジェットビートルと衝突、ハヤタに致命傷を負わせてしまう。そのとき、超人は倒れたハヤタと以下のような会話をする(劇中説明はないが、テレパシーということだろう)。

 

───

「おい、誰だ。そこにいるのは?君はいったい何者だ」

『M78星雲の宇宙人だ』

「M78星雲の宇宙人!?」

『そうだ。遠い宇宙からベムラーを宇宙の墓場へ運ぶ途中、ベムラーに逃げだされて、それを追って地球に来た。』

ベムラー?」

『宇宙の平和を乱す悪魔のような怪獣だ。もうしわけないことをした、ハヤタ隊員。そのかわり、私の命を君にあげよう』

「君の命を!? ……君はどうなる?」

『君と一心同体になるのだ。そして、地球の平和のために働きたい』

───(池田,岸川[80]:2 「」『』の使い分けはママ)

 

 

  ウルトラマンの理由

 

 おわかりだろうか。つまりウルトラマンが地球に留まるのは、彼なりの良心に基づいて、自分が起こした事故についての責任をとるためだったのである。日本の法律に照らせば、ウルトラマンは業務上過失致死に当たるだろう。彼にはその場でハヤタのために命を一個余分に用意することはできなかった(→注1)が、自分とハヤタを合体させることでハヤタを《生き返らせる》ことはできた。だから、お詫びにそうした。正義の味方のシンボルにふさわしい、まことに筋の通った行動である。しかし、この過失がもし無かったらどうなっていたか。事のなりゆき上、ウルトラマンは怪獣ベムラーを地球上で倒すことにはなるだろうし、そのことで地球と人類の平和に一役買ったにちがいない。しかし、任務を終えたウルトラマンはさっさと光の国へ返ったのではあるまいか。なぜなら、それ以上地球に残る理由がないからである。ウルトラマンの業務上過失致死(=ハヤタを(いったん)死に追いやったこと)は、劇中のウルトラマン自身にとってのみならず、『ウルトラマン』の作り手や視聴者にとっても、初挿話における必然的なストーリー展開だったのだ。つまり、この「ハヤタとの出会い」が、この後彼が地球に滞在して怪獣の猛威や宇宙人の侵略から地球と人類を守るために活躍することになる理由付け・大義名分となっているのだ。

 

 

  モロボシダン誕生

 

 さて、『ウルトラセブン』では、セブン誕生の秘話はなかなか明かされず、第17話「地底GO!GO!GO!」においてようやく語られることになる。ある炭坑において原因不明の地震が相次いで起こる。坑夫の青年・薩摩次郎は、ペットのチュウ吉を助けるため坑内に戻り、逃げ遅れて閉じ込められてしまう。地震の原因解明と次郎救助のために現地に赴くウルトラ警備隊。青年の名を聞いたダンは坑内を透視してつぶやく。「やっぱりあの青年だ。僕が地球へやってきて初めて会った地球人……そう、彼は僕の分身なのだ!」(上原 DVD[99d]:17)─M78星雲の恒点観測員340号は、その任務のために地球に飛来し、一目でその美しい地球が好きになり、侵略にさらされるこの星の平和を守るためにここに留まることを決意する。観測の飛行を続けていると、登山で遭難した青年の一人がもう一人の仲間を助けるために自分からザイルを切る、という場に居合わせる。340号は落ちていく青年を受け止めて救う。「仲間のためにザイルを切る…何と勇敢な青年なんだ。よし、この青年の魂と姿をモデルにしよう」(同前)340号は心の中でそうつぶやくと、次の瞬間薩摩次郎そっくりの青年に変身する。これが《モロボシダン誕生》の秘話である。ただし、《モロボシダン》という名前は、第1話「姿なき挑戦者」において、次郎そっくりの風来坊の青年=340号が「名前?そうだな、モロボシ・ダンとでもしておこうか。」(金城 DVD[99a]:1)と自ら名乗ることで決まる。また、《ウルトラセブン》の名前については、いつ誰が命名したか等、その由来は劇中ではついに明らかにされない。しかし、その名の意味する所は重要であり、これについては後で触れる。ともかくも《ウルトラセブン》というのは、地球において人類が、M78星雲人本来の姿をしている恒点観測員340号の彼を指すときの呼び名であるから、厳密に言うと彼には3通りの名前/存在があることになる。しかし何でもただ厳密にすればよいというものでもない。本質は「セブンとダン」の《二重性》であり、「340号とセブンとダン」の《三重性》ではないのだ。したがって本論では、本来の姿の彼についてはその存在も名前も区別せずに以後《ウルトラセブン》と呼ぶ。

 

 

  ウルトラセブンの《純粋性》

 

 ウルトラヒーローはすべて「地球の平和を守る」ために地球に滞在する。そうでなければシリーズ自体が成り立たない。しかし「なぜそうすることになったのか/なぜそうする気になったのか」という根拠/動機は彼ら一人一人によって様々であり、しかもこの「滞在理由」設定は、後に見るように本書の根幹である登場人物設定と深く関わってくる。既に見たようにウルトラマンの滞在理由は過失の償いという大義名分であった。ではウルトラセブンの場合はどうか。彼の行動を振り返ってみてほしい。彼にとっては、《二つの感動》が滞在理由となっている。美しい星・地球を見て感動し、青年薩摩次郎を見て「何という勇敢な青年だ」と感動したのだ。《だから》彼は地球に留まり地球と人類のために闘った。大義名分の下に正義の味方となるウルトラマンに比べ、ウルトラセブンの何と純粋であることか。ウルトラマンが地球に残ったのはハヤタを死なせた罪を償うためであり、その副産物として、彼の超能力による怪獣退治と侵略防止が可能となったのである。したがって、仮に、地球と人類のために彼のとった行動が、結果的に他星人への侵略等の人類による悪事に荷担することになってしまったとしても、彼は「借りがあるから仕方がなく」行動した《義理堅い二次的共犯者》に過ぎず、悪の主体はあくまで人類であろう。ウルトラマンには《事情がある》のだ。では、セブンにこれと同様の仮定を課すとどうか。美しい星に、勇敢な青年に感動した、そういう自分の主観と感情だけを根拠にして地球と人類のために闘った彼は、その純粋さゆえに生じる重い責任から逃れることはできない。ナショナリズムエスニシティー、グローバリズム、……何であれ純粋性はそのまま危険性となりえる。だからこそ、「宇宙においては何が正義か」「地球人と他星人とどちらが正しいか/どちらの味方となるべきか」という深くて重い課題・容易に答の出ない問いが、他でもない『ウルトラセブン』の物語において、却って顕在化したのである。

 

 

注1:『ウルトラマン』最終回で、ゾフィーが「命を二つ持ってき」ているので、含みを持たせてこう書いた。M78星雲には命が多く余っているのか、先輩格のゾフィーならではの能力だったのかは不明。