音楽の編み物

シューチョのブログ

箕面高校OB吹奏楽団第10回記念演奏会を終えて (6)

自分の指揮と吹奏の振り返りその6

小西収:交響組曲「黄金の調和」─八木正生「目覚め」の主題による─

今回僕の振る曲中、最も練習時間を費やした演目です。実は、特に初期中期には、一様に「難しい/わからない」という声しか聞かれず、そんなに難しいのか、?わからないってどういうことかわからないこれは、ひょっとして無理なのかと一人帰宅後に大きく凹むという週末を何度も過ごしました。理解を得られないことほど辛いことはありません。

 

それでも何とかめげずに練習に力を注ぐ/注いでもらううち、だんだんと形になっていき、6/18の投稿にも書いたような所まで辿り着いたのでした。

 

本番の棒は、やはり初演のためか(事故防止を意識し過ぎ)ややよけいな力が入ってしまった場面もあったことは否めず。それでも、指揮者固定カメラ映像で振り返ってみると、特に第3楽章ファストスウィングにおける小味に弾けたノリは、たぶん誰にも真似できないだろうと自負します。だって、この僕自身が真似できない😆。なんだコレ?いったいどうやって振っているのかそう簡単には分析できない、複雑かつ非定型な動作が断続的に為されています。“一回性”に満ちた指揮。対象への愛と集中の度合いについて「どれだけアホになれるか」という言い方がありますが、めでたくも十分その「アホになれた」感じ。

 

さて、前投稿に書いた

 

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宇野功芳先生が、どの本だったか「同じ曲の演奏表現の理想をある程度完成させるには、少なくとも三度は舞台にかけたい」というようなことを書かれていたと記憶します。同じ気持ちです。

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とは、今回、まさにこの「黄金の調和」に最も当てはまることです。

幸い、演奏会後の感想では、再演を望む声も内外から複数もらえて、ちょっと上機嫌😃。さまざま条件さえ揃えば、今後、再演・再々演もありえるのかなと。その機の熟すのを待つことにします。

 

箕面高校OB吹奏楽団第10回記念演奏会を終えて (5)

自分の指揮と吹奏の振り返りその5

斎藤高順:オーバー・ザ・ギャラクシー

行進曲のコンクール課題曲中、「マーチ・オーパス・ワン(浦田健次郎)」に次いで僕の愛好する佳曲です。この短い定型行進曲に対して、僅かに異なる3種類のテンポを盛り込み、おそらく誰も手をつけない箇所で誰もそうはしないだろうアーティキュレーションをエイヤッと付け加え、ブルーノ・ワルター/コロンビアso.の名盤であるベートーヴェン1番の第1楽章主部 アレグロ・コン・ブリオ のような変幻自在の造型を目指しました。そこのところ、楽団の多くのメンバーにもよくわかってもらえたようで、手応え十分。満足しています。

 

 

藤原基央:なないろ(BUMP OF CHICKEN

練習では「1つのフレーズの中ではできるだけ圭角を削いで柔らかく、いわば“草書体”の吹奏で」と話しました。そして、全体としてそのようにフワッと流れながらも、いくつか、ぐっと角を付けて抉ることが必要な締めの箇所もあり。この曲の旋律線はそういうものだと捉えます。“止め”や“払い”をしっかりすることで一つの書が完成するように、一つずつの旋律が造型されていくのです。

 

こうした細やかなニュアンスは、初めての本番では大成功!とまでは行かなかった面も宇野功芳先生が、どの本だったか「同じ曲の演奏表現の理想をある程度完成させるには、少なくとも三度は舞台にかけたい」というようなことを書かれていたと記憶します。同じ気持ちです。そしてそれは、初回ながら会心の出来と思えた上述のオーバー・ザ・ギャラクシーにしても同様です。それに、「三度は舞台に」という話とはまた別な意味で、うまくいったと思える“得意技”こそ何度でもやりたい😃

 

箕面高校OB吹奏楽団第10回記念演奏会を終えて (4)──舞台裏話の連載──

自分の指揮と吹奏の振り返りその4

 

平田智暁:ネストリアン・モニュメント

 

「マゼラン」同様、この曲も僕は 2nd Cl.と一部 Es Cl.の音符を(B管で)吹奏。マゼランほどはうまく吹けず、でもEs Cl.Solo 部分などまずまず及第点か?というところです😅。練習では、少人数の日には欠席の人のパートを吹くのも一つの愉しみでした。旋律が聞こえた方がやりやすいでしょ、ということにして😆おいしい所をいろいろ拾って吹いちゃっていました。

 

──以下、今回は6/25裏話からは話が飛びます──

作曲者の平田智暁氏とは、20012003年の夏に小林研一郎指揮法セミナー(注)で受講生としてご一緒させてもらったことがあります(僕が参加した上記3年のうちのどの年にお会いできたかまでは失念)。彼の方は僕のことはもう覚えていらっしゃらないかもしれないくらいの交流しかできませんでしたが。確か、当時彼はまだ大学生でした。「レオノーレ序曲第3番」の冒頭しばらくの緩徐部分について、poco rit. で小節線を跨いで次を振る指揮の身振りを示しながら「ここのこの、ドミナントからこう、トニックに移る瞬間、この“溜め”というかが、美しいんだなあ」(細かい言葉は僕のうろ覚え)と話してくれたときのことが今も僕の心にはありありと残っています。内容だけなら普通の楽曲解説風なんですが、いかにも作曲科学生らしい視点から出た「生の熱い言葉」に、僕はそのとき何だか感銘を受けたのでした。

 

注:2002年まで北海道女満別2003年は愛知県知立にて、23日の合宿形式で行われた、プロアマともフラットに受講可能だった指揮法の実践講座。FaceBook上でも何度か書いたように、指揮者・河上隆介さんともこのセミナーで知り合えて、意気投合したのでした。

 

曲へのピュアな関心ということでいえば、マゼランよりネストリアンに僕は惹かれます。木管に出る、スルメを噛むような細かい動機と緩徐部分の旋律美。終結でそれらが一同に集結する大団円、幾分地味な、それだけに確かな感動を呼び起こす造型です。特に緩徐部分は名旋律です。歌い出しの2つの8分音符と装飾を伴う5連符(歴史の語り部が思わず早口で喋るよう)が交互に2回ずつ、3度の和声で上昇していく符点音符の動きが2回(ここはいつも吹きながら涙腺が緩んでいました)、8分音符と5連符のリフレインと、4拍子の各小節の第4拍に毎度毎度心が揺さぶられます。途中、中央の音が半音下がった和声になって影が出る部分(ちょうど 2nd Cl. にその音が割り振られている)も味わい深い。

 

吹奏楽コンクール課題曲という作品群には、他にも確かに佳作名作が散見されると思います。が、いつも残念に思うのは、いい曲ほど、その内容を展開─充実させるには短過ぎ、無理して何とか時間内に詰め込んだかのように見えること。制限時間から解放された本来の「作品時間」はもっと長い(ことが想定されている)のではないか、と思わせるものが多い。長いバージョンも世に出ている真島俊夫「波の見える風景」や保科洋「風紋」などに限らず、です。「ネストリアン・モニュメント」も、例えば起承転結の転に当たるフーガの所など、もっと何小節も続いてほしいなあと思わずにいられません

箕面高校OB吹奏楽団第10回記念演奏会を終えて (3)

自分の指揮と吹奏の振り返りその3

「頭真っ白?!🐰

 

樽屋雅徳:マゼランの未知なる大陸への挑戦

 

後輩指揮者Oの、吹奏楽愛・邦人作曲家愛を熱く秘めつつの堅実な棒によって、観客/楽団にとって当日おそらく最も好評/好感触の曲になったと思います。ちょい悔しくもあれ、実に素晴らしかったというほかありません😌

 

僕は 2nd Cl. を吹奏しました。一部 Es Cl. のパートの重要部分も拾って(B管で)吹くようにと指揮者から指示があり、練習の初期~中期には両パート譜 Es Cl.左ページ、Cl.2 右ページに置いて対応、何とかこなしていました😅。がさすがに、左は in E♭、右は in B♭というのでは、やはり本番で何かの拍子に読み替えに混乱し、“頭真っ白”にならないとも限らないので、やはり in Bで統一して見る方が手堅いと思い、Es Cl.を吹く部分を手書きでCl.2パート譜に写して埋め込んだものを用意しました。「本番用“頭真っ白保険”楽譜」というわけですね。当日午前中、もう一人の2nd奏者Mさんとリハーサル室でブレスの位置等も確認、それもそこへ書き込み、完璧✌️。と思っていたら、開演直前、ムム、その“保険”楽譜をリハーサル室に置き忘れてきたことに気づき😨。けっきょく本番では隣のMさんのパート譜を“プルト見”させてもらうことに。そのパート譜では当然、Es Cl.部分は“頭”以前に音符自体が“真っ白”🥛、暗譜で行くしかなく。覚悟を決めて臨むと何と、予定のEs Cl. 部分のすべてをまったくミスなく、むしろこれまでで最もしっかりと吹ききることができたのでした。「よっしゃ!」と内心の叫び。これぞ、自分を信じて緊張を集中に昇華させる力=“アレ?デキタンダーテクニーク”😃

 

──と、ここまで書いたところで、「ながら見」していた『ウルトラマンメビウス』からこんな台詞が聞こえてきたのでした。

 

──

リュウ「今、この身を預けてるマシンを信用しねぇでどうすんだよ!」

マリナ「信じる?

リュウ「信じて体預けてるから集中できるんじゃねぇか!」

──『ウルトラマンメビウス』第5話「深海の二人」より──

箕面高校OB吹奏楽団第10回記念演奏会を終えて (2)

 

おかげさまで好評裏に終えることができた演奏会の、舞台裏話?の連載。

 

自分の指揮と吹奏の振り返りその2

 

馬飼野康二:愛されるより愛したい

 

結成30年の Kinki Kids の曲を何かやろうということになりました。そこで「ではぜひこれを♫」と言ったのは僕です。この曲は、職業作曲家・馬飼野康二の旋律が歌詞(の語句の聴感や意味)に依存しない「旋律線自体の素の美しさ」を備えていて、吹奏楽(器楽)映えが期待でき、かつ幸いにも原調の吹奏楽編曲が出版されていたからです。

 

──編曲と原調の問題については機会を改めて書ければと思います。──

 

今回の他の曲に比べれば演奏するのが易しかったことも奏功してか、感想を各曲別に言って(書いて)くれたお客さん数人の意見を思い出しても、僕が指揮した曲の中では、他の曲は賛否が分かれているのに対し😅、この曲(の演奏)は「否がほぼ皆無」で、「これが特によかった」とする人も多数でした😃

 

河上隆介指揮 セブンスターオーケストラ 第14回記念演奏会

 

プロコフィエフ:バレエ『ロメオとジュリエット』抜粋

 

「ロメオとジュリエット」(第1組曲6曲)

弱音部も強奏のクライマックスも弦合奏に訴える力を感じ、後半のショスタコーヴィチの緩徐楽章への期待が膨らみました。

 

「タイボルトの死」(第1組曲7曲)

開始早々から物々しい3拍子を低弦に向かって与え、ときに棒の先が小指側に来るように持ち替えて突き刺すような強奏をオケに要求、スネアドラム2台も加わり大迫力。

 

いずれも、劇的で大きな音楽を劇的に大きく盛り上げるのが何より得意な河上さんならではの表現を堪能。

 

 

ショスタコーヴィチ交響曲5ニ短調

 

1楽章

 

冒頭の32分音符、奇数番目は飛ばし偶数番目は送る、というボウイングのフォルムが明快にアーティキュレーテドに伝わりました。

 

練習番号9、弦伴奏のポルタートを一切弾ませず、通常とはフォルムがまったく異なる、浮遊感漂う音空間が生成されました。今後もこの曲のここといえばこれが浮かぶだろうと思える、独特の表現。

 

再現部開始(展開部終結)部分の思い切ったリテヌート、ここのa tempo con tutta forzaa tempoの意味は?!やっぱり考えてることが近いなぁ😃

 

 

2楽章

 

例えば、例の4拍子を挟んだ直後のホルンなど、もう少し弾けてもいいように思うも、棒も下への叩きでティンパニの伴奏リズムを振るのみ。ここは自分なら左手を2拍分以上ホルンへ向けてストップモーションにするかもなぁとか思って過ごしました。マーラー大得意の彼であればもっとマーラーレントラー風になってもよさそうなところ、おとなしめに僕には聞こえました。逆にいえば、このややクールな運びはショスタコーヴィチ然としていてふさわしいとも🐰

 

 

3楽章

 

先述の期待通りの弦合奏の美😌スケルツォで落ち着いていた分?こちらで燃焼🔥

 

 

4楽章

 

ムラヴィンスキーよりも遅い?開始からaccelerando を経てバーンスタインより速い?番号98の次主題提示へ😆

 

この後、さらに漸加速!実は98直前に記されたこのaccelerando、スコア上は、番号98までではなく番号108のトランペットの主題に至るまでの実に約70小節に渡る持続的な加速の指示の端緒であるとも受け取れるのですが、なかなかそのように実行している(と聞き取れる)演奏がなく知る限りこれまでコンドラシンストコフスキーだけでした。本日、3例目の体験で、膝を打ちました。

 

このような刺戟を受けると自分ならどうするかも言いたくなり僕なら、冒頭は逆に少し速めにし、代わりに番号98への加速感は最小限に留め、しばらくのあいだは十分遅く進めてから徐々にギアを上げていくことで、いつの間にか速くなっているというのが理想🐵。それと、指揮者の奥義(明かすべからず?─後述)とか言いながら自分の方のネタバレはもう一つ書いてしまうと、最初の金管主題4小節のアクセントの有無の下品な強調😆はぜひ実践したい。特に後ろ3つの4分音符のアクセントに意味を感じています(細かいこと言うも出典確認は全音のミニチュアスコアのみです😅

 

──話を河上/7オケに戻します🙇‍♂️──

 

ニ長調へ転調する直前1小節でモルトリテヌート、こういうベタな造型を彼はしばしば臆することなくやってのけてくれます。これがまた不思議なほど効き目があり、自分ではまず取ることのないスタイルだと思うと同時に、その自分が、その瞬間、気づくと大きな感動に打ち震えている🥹「してやられる」とはこのことです。

 

そしてそれに続く快速なコーダでの、A音連奏のヴァイオリンの運弓、そのスピード感と音の張りの輝かしさ!視覚的にも聴感的にも素晴らしく、そうか、この曲のここってこれが正解だったのかと心の中で唸って過ごしました。

 

同曲の読譜から生まれる「ここのコレ、どうする?」という問いやツッコミに、余す所なく回答してくれたような演奏でした。

 

終演後、控室におじゃましました。この7オケ終演直後の会談は我々の間では恒例となっていたものの、2020年は演奏会中止、一昨年は僕が諸用で出向けず、昨年は聴けるも会えずでしたので、4年ぶりとなります。上記感想の答え合わせもでき、「さすが小西さん、お見通しですね!」と過分な言葉ももらいました。

 

──その答え合わせについては、「指揮者の奥義」に触れる部分でもあるため逐一の詳述は控えますが、一つだけ。第1楽章番号9は、まさに大事にした箇所だったそうで、GPでも丁寧に分奏し確認されたとか。ムム、やはり😌他に類のない響きと流れを強く感じたことにも十分合点がいきました。──

 

互いに、細部は違えど/違うからこそ、大枠の方向における音楽観/音楽勘はやはり近い、そのことを改めて確認できたことが何より嬉しく固い握手を交わしました🤝

 

話に夢中になり過ぎ、写真撮るのを忘れました😅(以前の投稿&ツーショット↓)

https://trikado-muzika.hatenablog.jp/entry/2018/07/17/121557

 

箕面高校OB吹奏楽団第10回記念演奏会を終えて (1)

おかげさまで好評裏に終えることができた演奏会の、舞台裏話?連載開始(笑)。
 
まず(1) からの数回で、自分の指揮と吹奏を振り返っておこうと思います。
 
0. フランク・エリクソン:アリア
1. アルフレッド・リード:ジュビラント序曲
 
「アリア」はプログラム未掲載、菅沼良三郎先生、間威之先生への追悼演奏。我々は箕面高校吹奏楽部顧問OB吹奏楽団顧問として多大なご恩を受けましたが、お二方ともそこに留まらず、菅沼先生は合唱、間先生はオーケストラ、地元箕面のそれぞれの方面で知らない人はいない程活躍された方でした。
 
「ジュビラント」はリードらしい爽快な楽想の小品。勢いでつっ走るだけにならないよう大事に進めました。
 
以上の2曲では、特に目立った表現も採らず、抑制が効いた、落ち着いた指揮をすることができたように思います。僕もやればできるんだという妙な自信/再確認😃
 
いつもこんな風に地味に渋ーく振れればいいなぁ…ということは、普段はそうではないという自覚も十分あるのでした😆