音楽の編み物

シューチョのブログ

3年ぶりの吹奏楽本番-3-

演奏会まであと1週間、ラストの合奏練習が終わりました(写真は別日のものです🙂)。
「黄金の調和」も本番さながらに全楽章の通し演奏を。メンバーのお一人が帰路の会話で、おそらくこれまでほとんど機会がなかった通し演奏を終えての感想として、しみじみ「黄金の調和、大曲やねぇ」と言ってくれました。それにすっかり気をよくし、つい調子づいて“創作秘話”を訥々と語ってしまいました。
吹奏楽曲として小さくない音楽に仕上がった上に、最近、表現/造型の彫りも徐々に深くなってきた結果、“大きく”なったものだなぁ…と、僕もその手応えを感じることができました。
 原曲・八木正生「目覚め」への敬愛の念も改めて😌
もちろん、他の曲目の演奏についても、アルフレッド・リードや日本人作曲家の吹奏楽作品からKinki kidsBump of Chickenまで、小西/大迫/箕面高校OBによる“ならでは”感は満載、飽きさせないでお聞かせできる自信があります。
珍しく?😆自賛モードで書いていますが、今の正直な気持ちです。
来週のホールでの響きが今からたのしみです。
お暇が合えばぜひぜひご来場下さいますよう!
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箕面高校OB吹奏楽団第10回記念演奏会
2023年6月25日(日)
箕面市立メイプルホール大ホール
開場:午後1時30分
開演:午後2時

3年ぶりの吹奏楽指揮の本番 -2-

吹奏楽部時代の先輩である Jiro 氏に、ご自身のブログで今回の演奏会について紹介して頂いたようです!懐かしい写真も添えてもらって嬉しいやら気恥ずかしいやら…。もう一人の後輩指揮者の紹介も、実に的を射てくれています。
 
今日、指揮者・小西収がこうして在るのは、その道の端緒では、高校時代の、OBだったJiroさんからの指導によるところがとても大きいのです。もちろん、一人の高校生として音楽のみならず隅々お世話になったのですが、彼とのことでいつも具体的に思い出す一つのエピソード/場面がありまして、今日もそれを書こうと思います。
 
 指揮者デビューのクリスマスコンサートが迫った某日、曲の中にあったワルツの部分を、「俺はこう感じる」とただひとこと言って、サッと指揮してみせてくれた、流麗な腕づかい。“斎藤メソード”でいう「先入」を含むその“一つ振り”の動きが、当時の僕にはまさに電光石火の指揮法に映り…その光景は、約40年を経た今でも目に焼き付いています。もちろん、それは指揮の教本に名前付きで載るような動きの型であり、指揮者なら誰もができるはずの、今でこそ僕も難なくできる一つの型ではあれど、僕にとってはやはり記憶の中のJiroさんのあの“振り”こそが最も美しいその見本であり続けており、未だにずっと超えられない感じもしています。
 
そして、写真もこの腕前😌。被写体がいいからですかね😆。
 

3年ぶりの吹奏楽指揮の本番-1-

箕面高校OB吹奏楽団の演奏会まで、あと1か月弱となりました。

 

1月に第1稿が仕上がったとお知らせしていた拙作「黄金の調和」も、あれから第2稿A、B、C1、C2、…と改訂を重ね😅ようやく決定稿「第2稿D2」😃に至りました。

 

プログラム掲載の7曲をお知らせしておきます。

 

アルフレッド・リード:ジュビラント序曲

馬飼野康二 (小島里美編):愛されるより愛したい (KinKi Kids)

樽屋雅徳:マゼランの未知なる大陸への挑戦*

平田智暁:ネストリアン・モニュメント*

斎藤高順:オーバー・ザ・ギャラクシー

藤原基央 (宮川誠治編):なないろ (BUMP OF CHICKEN)

小西収:交響組曲「黄金の調和」

    ─八木正生「目覚め」の主題による─

 

(小西は、*の曲でCl.吹奏、他の曲を指揮します。)

 

ご来場・応援どうぞよろしくお願い申し上げます!

 

箕面高校OB吹奏楽団第10回記念演奏会

2023年6月25日(日)

箕面市立メイプルホール大ホール

開場:午後1時30分

開演:午後2時

入場無料

聞こえるかい、郷さん!…

帰ってきたウルトラマン』第1回。主人公・郷秀樹は、非武装・整備工服のまま、怪獣タッコングの破壊するビルへ、犬の救助のため身一つで乗り込みます。
 
映画『シン・ウルトラマン』でもオマージュされた、回転する十字の光。それに応え片腕または両腕をかざすのみの変身、あるいは、ウルトラマンからのその光の呼びかけがあるのみで自身は応答のアクションさえせぬまま、全力疾走等、目前の難局に立ち向かっているさなかでの変身、ということもしばしばありました。
 
物語の端緒が示す“素手”のヒーロー・郷秀樹に実にふさわしい変身方法。そして、その大きな瞳の長身痩躯に実に似つかわしく、変身直前時の姿が美しく映える変身方法。無類のかっこよさ。──郷秀樹の団時朗性・団時朗の郷秀樹性。
 
変身小道具無しという稀有のウルトラマンは、生まれるべくして生まれたのでしょう。みごとな活性フィクションです。

母と食べたそば

関東風のそばが好きです。
 
写真は、関東風を名乗る蕎麦屋の「たぬきそば」。名前は“ちゃんと”関西風(笑)。向かいの若菜そば系列の競合店の前には長い列…。こちらはさほどでもなく、まもなく入れました。少数派でよかった?
 
…正直に言えば「関東風(のそば)“も”」でよく、例えば地元蕎麦店「昭月」の、薄さが旨さの関西だし和牛肉そば“も”最高なことを知っています。
 
 それでも、生まれも育ちも箕面を出たことがないにもかかわらず、うどんはともかく、そばは、濃い色のつゆに(けっして青ねぎではなく)白ねぎの添えられたこの関東風のそばが美味いと感じ…自分にはこちらがデフォルトです。
 
それはきっと、幼少時に食べた松本駅の駅そばの味を求めているからなのでしょう。
 
信州大町生まれの母の帰省について行くと、特急しなのから大糸線の水色の鈍行列車に乗り継ぐまでの待ち時間に、必ず食べたのでした。僕にはどうやらこれがそばの「元味」になっている…と最近気づいたのです。松本駅で母が注文していたのはいつも具材の乗らない「きそば」…これもあまり言わないんでしょうか。僕の方は、「かけそばって何そば?」(笑)とわりと長い間思ってきたものです。
 
母はそばに限らず麺類が好きで、そういえば、最後に一緒に食べることのできた外食は醤油ラーメンでした。

物理の本

ときおり、物理の本を無性に読みたくなります。
  
理工系の学部生向け教科書程度のものを選んで…といっても、通読できたものもあれば、拾い読みしただけのもの、初めの方で止まっているもの、などいろいろですし、読んでは忘れまた読んでは忘れ…という、一つの推理小説を何度も楽しめるような読み方?だったりしますが(頭掻)。

 

それでも、物理の本を無性に読みたくなるときがあるのです。

 

それはきっと、物理学者だった亡き父に教わりたい気持ちがずっとあるからでしょう。物理の本を読んでいると、そこに登場する、物理学やそれに必要な数学についての用語や考え方から計算や記号の形に至るまでが、昔、僕が一つ聞くと十返す感じに、十分にはわかるわけもないのにいろいろ父が話し書いてくれた、それらのものとして想起され現れてくるのです。「あぁ、これ、言ってたなぁ、書いてたなぁ…」という感じに思い出す…いえ、そんな気がするだけで、逐一覚えているわけではきっとなく、でも記憶がもう明確でないからこそ却って、読んでいる今、あたかも父が傍にいて話し書いてくれている、再びその声が聞こえその筆跡が見えるように感じる、とでもいったらいいのでしょうか。それで、「その話、今聞くとよくわかる!」というふうに感じながら理解していけて、嬉しくもなるのです。

ウルトラセブン「狙われた街」と現代

ウルトラセブン』第8話「狙われた街」について書いてみました。私としては珍しく、作品世界外へと開いた社会的な考察も──自分でも抑制し過ぎかと思うほど「遠慮がち」にではありますが──ほんの少し入れました。

 

 

「狙われた街」といえば、メトロン星人とダンのちゃぶ台対面やラストのナレーションが有名ですね。しかし──前者場面を彷彿とさせる?ような写真を載せながら言うのも何ですが(頭掻)──本話の真骨頂はそこではなかろうと考えます。

 

本話「狙われた街」は、《宇宙人同士》《モロボシダンのモノローグ》《ダンとのダイアローグ》といった、『ウルトラセブン』に固有の活性フィクションがさりげなくしかししっかりと織り込まれた佳作です。このうち3つ目の《ダンとのダイアローグ》が、本話においては最も重要です。

 

北川町の住民が次々と事件を起こします。乗客に襲いかかるタクシー運転手、自分で旅客機を墜落させてしまうパイロット(=アンヌの叔父)、ライフルを乱射する青年…。

 

──────
《モロボシダンのモノローグ》
「またしても北川町の住民だ。これは単なる偶然とは思えない。何かある。きっと何かある」
──────

 

一連の事件を影で仕組んだメトロン星人は、ダンに、同じ《宇宙人同士》で傷つけ合うのは愚かだから北川町には近づくなと忠告します。当然ダンはそれを聞き入れないまま行動を続け、業を煮やした?メトロン星人はダンをさびれたアパート(実は秘密基地)へと誘導します。

 

──────
《ダンとのダイアローグ》
メトロン「ようこそ、ウルトラセブン。われわれは君の来るのを待っていたのだ」
ダン「なに!?」
メトロン「歓迎するぞ。何ならアンヌ隊員も呼んだらどうだね」
ダン「君たちの計画はすべて暴露された。おとなしく降伏しろ!」
メトロン「ハッハッハ…、われわれの実験は十分成功したのさ」
ダン「実験?」
メトロン「赤い結晶体が、人類の頭脳を狂わせるのに十分効力のあることがわかったのだ。──教えてやろう。われわれは人類が互いにルールを守り、信頼し合って生きていることに目をつけたのだ。地球を壊滅させるのに暴力をふるう必要はない。人間同士の信頼感を無くすればいい。人間たちは互いに敵視し、傷つけ合い、やがて自滅していく……どうだ、いい考えだろう」
ダン「そうはさせん!地球にはウルトラ警備隊がいるんだ」
──────

 

この対話の直後、メトロン星人は部屋の奥の、ビルトインされていた宇宙船に乗り移ります。
「ウルトラ警備隊?恐いのはウルトラセブン、君だけだ。だから君には宇宙へ帰ってもらう。邪魔だからな。ハハハハハ……」
メトロン星人を追って(思わずつられて?)宇宙船に乗り込むダン。メトロン星人がダンを基地へ誘導したのは、基地から発射するロケットごとダン=セブンを宇宙へ追放するためだったのでした。
メトロン星人の行動は一貫しています。ダン=セブンと戦う意思はないということですね。アイスラッガーエメリウム光線による素早い畳み掛けであっけなく撃退されるのは、第1クールに共通の『ウルトラセブン』らしさであり、メトロン星人の戦闘に関しての弱さ/執着の無さの象徴でもあります。
メトロン星人の地球侵略計画は、こうして終わったのです。人間同士の信頼感を利用するとは、恐るべき宇宙人です。でもご安心下さい。これは、遠い過去に作られたフィクション、すなわち作り話に過ぎませんから──
──と、ただそう言えればよかったのですが…。当時から見て未来である今の時代は、次々と撒かれる不安の種に人々が苦しめられる世界になっているのではないでしょうか。

 

本話「狙われた街」において重視すべき主要な部分は、ここまでに書いてきた部分(の、対話場面の演出=映像ではなく、対話の中身=脚本の方)であると考えます。それは、繰り返しになりますが、それらの場面が《宇宙人同士》《モロボシダンのモノローグ》《ダンとのダイアローグ》という『ウルトラセブン』に固有の活性フィクションの表出場面だからです。中でも本話の《ダンとのダイアローグ》に表れた問題提起、すなわちメトロン星人の企図の恐ろしさの部分がとりわけ重要でしょう。そこで、以下にはそれをその意味する通り真面目にストレートに受け取った思考を綴ろうと思います。

 

「物資と情報が絶え間なく」広範囲に行き交うこの現代─現在に本話のダイアローグを読む(聴く)と、ますます身近にその怖さを実感できてしまうところがあります。時代を超えるだけでなく時代を経てさらに強まる普遍性。本話の価値は今後も揺るぎないだろう…と喜んでばかりもいられません。

 

本話は「遠い過去に作られたフィクション」であり、『ウルトラセブン』の挿話である以上、その悪の源は星人存在に預けられる形で物語られます。が、現実の現代は「“メトロン星人”は“外星人”ではなく人類自身のうちにこそ密かに巣食っていて、多くの人々が『互いにルールを守り、信頼し合って生きている』ことにつけ込み、世界を自らの陰謀通りに進めているかのような時代」になっているといえそうです。

 

では、その現代における《赤い結晶体》とは、あるいはそれによる「実験」とは、何でしょうか。いくつも候補が思い浮かびませんか。あるいは、人によって思い浮かぶものは異なっても、何も思い浮かばないという人はいないのではないでしょうか。それらを合わせれば「このわずか数年のうちに、いくつも出てきている」ことになります。普遍的な比喩というだけならまだしも、実体のあるものにせよ実体さえないもの(情報・伝聞など)にせよ、そういったある具体的な形や様態を持った《赤い結晶体》が実際に「いくつも出てきている」のが現代である、ということです。また、それらの《結晶体》(の実験?)に惑わされ翻弄され、ほんとうに目を向けなければならない本来の脅威からはいつの間にか目を逸らされる…といったことも起きているのかもしれません。

 

ただ、気をつけたいのは、現代は“メトロン星人”が「自らの陰謀通りに進めている時代」ではない、ということです。あくまで「世界を自らの陰謀通りに進めているかのような時代」と言っています。「かのような」が重要です。まさに「“メトロン星人”の陰謀通りであるかのような事態が進む」のを何としても回避するためにこそ、まずは何よりそこを忘れてはいけない、とも考えます。

 

note マガジンの記事「ひとりぼっちの宇宙人─ウルトラセブン視聴記─ 「狙われた街」と現代」には、この投稿とほぼ同じ内容の部分に加え、《ダンとのダイアローグ》以外の面についても書いています。よろしければそちらにも訪れて頂けると嬉しいです。↓


https://note.com/syu_tyo/n/n04eb21c76abf