音楽の編み物

シューチョのブログ

作品のスタイルと演奏のスタイル (1)

メンデルスゾーンシューマンの辺りが、自分にちょうどいいのではないかと思うことがあります。いわゆる前期ロマン派で、でも、シューベルトではちょっと手前過ぎる、という。文字通りロマン的でありながら、古典の運びを残しているので、造型しやすい。

マーラーなどになると、何でも作曲家自身が決め過ぎ(笑)。「第1」(「巨人」)だけをとってみても、コントラバスをぜったいはっきり聞こえさせよ、パウゼをおけ、ホルンを立たせよ、トランペットを足してもよい、…などなど、細かく細かく指示してありますが、そういうのは演奏する側に任せてほしいなあ。彼は自分が指揮者だったから自分の演奏のスタイルをスコアに書き込んだのでしょう。しかしそれらは作品自体の内部からの要求とは次元が異なるはずです。異なるはずなのに書き込んじゃったからその区別がつきにくく、やっかいになったということです。つまり、先に「作曲家自身」と書きましたが、作曲家マーラーと指揮者マーラーは区別されるべきものでしょう。さらに、作品は作曲者からも独立したものである、という立場を僕は採ります。音楽テーゼ集 (2) の「楽譜をテクストとして読む」とはその実践の一つの表れです。

と、こう書くと、ではどこまでが作品の真の部分か、とか、いや、そもそも作曲家の書き残したものすべてに忠実でなければならない、とか、いろいろ返されそうです。僕は、何らかの正解や確信に至っているわけではありません。そのことは先に白状しておくとして、でも、次回以降ももう少しこの項についてつづけることにします。