音楽の編み物

シューチョのブログ

作品のスタイルと演奏のスタイル (4)

言の葉と音の符、楽の譜は文の森(12) 2007年2月

 ベートーヴェン第5第1楽章の運命動機が僕には「ベートーヴェンの涙の粒」に見えます。これは作曲家の意図とはかなり異なるでしょう。それはわかっていても、そう捉える自由はあると考えます。いえ、自由があるかないかと言う以前に、この通り、僕はもうそう捉えてしまっているんだから、仕方がない(笑)。

「ライン」第1楽章第340小節の旋律線を書きながら、シューマンは自分の目を潤ませていたと確信しています。この曲のこの瞬間(書いた瞬間だけではなく、曲の箇所としての瞬間)こそ、彼が自分の作品への抱きしめたいほどの愛を感じる瞬間の一つだったに違いありません。──と、こう書くことはレトリックとして許容されていいと僕自身は思っています。しかし、本来は、誰より僕がそう感じていると吐露するのが正直な書き方でしょう。

以上のように、僕の場合は、作曲者の意図したことを追うのではなく、作品を通じて作曲家たちと対話をしているとでも言えましょうか。「おまえ、それは違うぞ」と言われて「あ、そうでした?へへ」と照れ笑いをすることもあれば、「よくぞ読み取ったのう」と褒められ「ええ、だって先生がそう書いたのですから」と胸を張って答えられる場合もあろう、というものです。その、尽きない豊かな想像の世界が素敵ではありませんか。