音楽の編み物

シューチョのブログ

さだまさし『夢供養(ゆめくよう)』

小6当時、「勝手にしやがれ」や「愛のメモリー」を歌いまくるような歌謡曲少年だった私でしたが、「雨やどり」が出たのを知ると、そのコミカルな世界に魅せられ、さっそくシングル盤を買って(だったか、友人に借りたんだったか)聴き込みました。観客のウケる声の入ったライブというのも新鮮でした。中学生になってからLPのアルバム『帰去来』『風見鶏』『私花集(アンソロジー)』にも手を伸ばし、スケールの大きい「つゆのあとさき」「主人公」、短編小説のような「飛梅」「檸檬」などが特に好きでした。『夢供養』は4枚目のソロアルバムで、発売日を見ると私が中2になってすぐの頃。「唐八景」「風の篝火(かがりび)」「歳時記(ダイアリィ)」「パンプキン・パイとシナモン・ティー」「まほろば」「療養所(サナトリウム)」「春告鳥(はるつげどり)」「立ち止まった素描画(デッサン)」「空蝉(うつせみ)」「木根川橋」「ひき潮」、全11曲いずれもが名作です。特に「風の篝火」「パンプキン・パイとシナモン・ティー」「まほろば」「療養所」「春告鳥」「空蝉」「ひき潮」──特にと断りながら11分の7!──の素晴らしさ。僕が今もって、さだまさしこそが史上最大の天才的シンガーソングライターであると疑って止まないのは、まずはこの7曲によっているといえます。今回は『夢供養』の紹介なので羅列は控えますが、「史上最大」の「証拠」として外せない曲がもちろんまだいくつもあります。

 
ただ、『夢供養』以後は、徐々にクラシックへと嗜好・関心が移っていく時期と重なり、『随想録(エッセイ)』『印象派』『うつろひ』まではLPを集めるも、『夢の轍』から先はほぼまったく知らずに今に至っていまして…。ライブに行ったこともなく、アルバムで数えても彼の仕事の10分の1ほども知らない私には「ファン」「通」を名乗る資格はもとよりないのではありますが、それでも…

 
さだまさしがメジャーな中では最もマイナーな?存在に甘んじている?のは、不思議と言うべきかよくもわるくもポピュラーってのはそうなるんだろうと言うべきか…。同世代/前後世代の「シンガーソングライター」と呼ばれる誰を挙げても、詩も曲も歌唱も、その独創性普遍性芸術性において、その「質感」において、さだまさしは別格である、と言い切りたい…のは、私だけなんでしょうか。わずかに一人、笑福亭鶴瓶さんが、あからさまにではないものの私からすればたぶん私と似た考え・感想を抱いているのではないか…と思えるような発言をしている場面を、過去のTV番組で見かけたことがあります。「よくぞ言ってくれた」と膝を叩いたのを覚えています。──当時、「夢供養」を「無教養」と読む冗談をさだ本人も飛ばしていましたが──音楽・文学への教養の質と量の深さといった点においても、さだは抜きん出ていて、他の「ミュージシャン」「アーティスト」が束になってかかっても敵わないのではないかと。他分野で言えば「手塚治虫と他の漫画家」。…さすがに距離感としてそこまでは行かずとも、そういった、ある種の“埋まらない差”だと言いたいわけです。もちろん、私は他の人々についてさだほどにさえよく知らず、きちんと比較批評できるわけではないので、無責任で勝手な想像でしかありません。

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