音楽の編み物

シューチョのブログ

カルロス・パイタの「英雄の生涯」

カルロス・パイタ、昔から名前だけは聞き覚えがありましたが、演奏を知ったのはネットで“拾い聴き”ができるようになった最近から(苦笑)。いやいやどうして、あなどれません。
 
ドヴォルザーク後期3交響曲(特に7番)なども素晴らしいのですが、この「英雄の生涯」には仰天しました。冒頭の「英雄」(「英雄の敵」に入る直前まで)の部分、ピアニストが十八番の小品でも弾くかのようにテンポを動かしまくっています。よくもまあここまでやり尽くしたものです。それでいて、個性的というよりは、ある種の典型的なスタイルを感じさせるのです。つまり、この曲のスコアを見ながらなら一度は誰しも(?少なくとも僕は)似たような流れで振ることを想像してワクワクしてくる…そのような造型のように感じます。ただ、それを「ホンマにやるかぁ!」という(笑)。それでいて同時に「おっ、そう来るか!」と意外性を感じる箇所もあって一筋縄では行かず、他では得られない愉悦感で満たされます。
 
そこで改めてスコアを開いてみましたが、(少なくとも「英雄」部分について)R.シュトラウスはテンポ変化の指示を何も書いていないようです。つまり、確実にパイタ自身の内から溢れ出た流れ、あるいは考えに考え練りに練った流れであるということですね。内面の格闘を経て生まれたもの。だからこそ、普遍的な人間の感じ方・捉え方の一種として却って信用できる。
 
インテンポを礎とする名演奏というのもあります(→注)し、テンポを動かせばいいということではない、が、ただ動かさなければそれでいいということではもっとない。通常はここのところが反転してしまって、大抵はおそらく、「作曲者が書いていない」(とか「オケが合わせにくい」)ということを言い訳にして「造型できない」ことを「造型しない」ことにすり替え、「これが正しいのだ」とばかりにアゴーギクを一切加えずに素通りしてしまう。
 
ともあれ、パイタの造型はまことに周到で普遍性を帯びたものになっていると思います。しかもこれ、何とライブです。すごいです。いったいどんなリハーサルをしたのでしょうか、自ら率いたフィルハーモニックsoならではの徹底ぶり。恐れ入ります。
 
注:ベーム/ウィーンpoの'63ウィーンコンツェルトハウスでのライブはすごいですねぇ。

 

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