音楽の編み物

シューチョのブログ

楽の譜,音の符

NHK-FMベストオブクラシックで山田和樹バーミンガムso.のベートーヴェン第7をやるというので,エアチェックしておこうかというところ,Mac周りのセッティングを普段と変えていた(のを忘れていた)ため間に合わず,それなら放送のリアルタイム(1年前の録音の放送ですが(笑))でちゃんと聴こうと,アンプに繋いでスピーカーから鳴らすことにしました。しばらくしてふと思い立ち,中学高校時代よろしく,第1楽章展開部からスタディスコアを見ながら聴いてみることにしました。
 
10代の当時は,放送やレコードをスコアとともに鑑賞することは,発見や感動の連続で,私の音楽体験の中の喜びの大きな部分を占めていました。が,やがて,他人の演奏には飽き足らなくなり,読譜の時は自分の演奏を頭と心に描くのみにして「聴かずにただスコアのみを読む」ということが多くなっていき,いつしか「読譜鑑賞」という行為からは遠ざかるようになっていたのでしたが…。
 
その久々の「読譜鑑賞」で,この曲の演奏表現についてこれまでに抱いてきたいくつもの疑問やアイデアについて改めて確認でき,新たな発見もありました。それらはもちろん,読譜のみでも体験してきたことではありますが,やはりリアルに音を聴きながらだとそれに即した気づきがありました。やはり,第7で自分が採ろうとしている表現は,ベートーヴェンの9曲の中でも最も巷の常識を外れる度合いが大きいだろうことを自覚し直しました(笑)。
 
今日使ったスコアはベーレンライターの新版のスコアです。当時はスタディスコアといえばもっぱら全音(または音楽之友社)を使っていました。いわゆる「版の問題」はここでは(深くて大き過ぎるので)置くとして,素朴なことを一つ言うと,音符の形(活字でいえばフォント)が馴染まないなぁ,旧版の方が音符が優しいなぁ,とは感じてしまいます。自分が何か書くときに使う楽譜ソフトでは新ベーレンライター版と同様の“フォント”なのに,違和感はさほど感じません。それが,古典の譜面だと何だか(マイナスの意味で)“冷たい字”のように見えてしまう…。
 
この曲を初めて聴いたのも確かFM放送ででした。カール・ベーム/ウィーンpo.の来日ライブだったかと。その後,我が敬愛の師ブルーノ・ワルター/コロンビアso.のステレオ録音盤を愛聴,アレグレットの前半の強奏確保部分,初めてTuttiで鳴る所(75〜)の入りのドラマは忘れられません。引きの絵を撮る映画的遠近感というか,「涙で目が潤むこと」の描写というか,まことに劇的な瞬間です。

f:id:sxucxo:20170906002102j:plain

f:id:sxucxo:20170906002121j:plain