音楽の編み物

シューチョのブログ

クリ拾い (46)

2015年が明けました。今年もよろしくお願いします。

 昨年夏に日本映画専門チャンネルにて「ゴジラ総選挙」が行われ,第1位は「ゴジラvsビオランテ」。巷で評価が高いことは知っていましたが,私は本作を初めて視聴したときは?でした。『形態学的怪獣論』『バルタン星人はなぜ美しいか』の小林晋一郎氏の原案は確かに秀逸なのでしょうが,ラスト(ビオランテの最期)の演出・映像がどうしても受け入れ難かったのを憶えています。ちょうど今,やっていますね。後で録画を改めて視聴しようと思ってはいます。今回の再視聴で印象の更新はあるのか,楽しみです。

 私のベスト「ゴジラ」を何本か,ざっと挙げてみたくなりました。その,挙げるものだけでも改めて再視聴すればいいんでしょうが,そういうことにはこだわらず,資料としては全作のタイトルリストだけ(笑),それらを眺めての,視聴時の印象の記憶・想起をもとにあくまで「ざっと」ということで。

(1) ゴジラ対メカゴジラ

(2) ゴジラ対ヘドラ

(3) ゴジラ(1954年)

(4) ゴジラ 2000

(5) ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘

(6) 三大怪獣地球最大の決戦

一応,順位を付けてありますが,(2) 〜(4) を2位タイ,(5) (6) を5位タイとしてもよい感じです。いずれにせよ,ゴジラに少しでも詳しい方には一見してわかってもらえると思いますが,どういうわけか,大方,たぶん多数派の評価とは逆行しているということですね(笑)。──以下,「どちらかというとおそらくこっちが多数派」という方を「一般」と言い表すことにします。── で,一般には評価が高いようだが私はそれほどよいとは思わない作品を挙げると

(a) ゴジラvsメカゴジラ

(b) ゴジラvsビオランテ

(c) ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃

(d) ゴジラvsモスラ

となりましょうか。ただし,これらは私のワーストなのではなく,「一般と私の双方の評価のギャップの大きい(らしい)もの」ということです。念のため。では,それぞれについて,寸評を。

(1) ゴジラ対メカゴジラ

いわゆる「昭和ゴジラ」「人間の味方ゴジラ」の頂点。その魅力は何といっても初代メカゴジラの怪獣美に集約されます。意匠だけでも惚れ惚れしますが,作中でのロボット的な動きや光学合成のカラフルな色彩美も実に見事。予め稲妻を浴びておいたゴジラが身体を磁石にしてメカゴジラを引き付けるというのも,ゴジラが劣勢を立て直せることの必然性を説明するシンプルなアイデアとして秀逸。頭部を捻りちぎっての破壊というのも,メカゴジラという機械に対してだからこそ,子どもに見せてもまあセーフ,というところを突いた,必然的なカタルシスとしてよくできています。その特撮シーンのバックにずっと流れる佐藤勝作曲の軽快な音楽もすばらしい。「ゴジラの音楽は伊福部昭のあの曲でないと」という先入観をハズしながら,しかも成功している,というところがニクい。ゴジラキングシーサーメカゴジラが光線の総攻撃を浴びせる場面など,光学合成映像の圧倒的な迫力とスピード感に満ちた音楽とが相乗効果となり,胸のすくような愉悦感が得られます。これぞ特撮映画のたのしみでしょう。一般には「メカゴジラの逆襲」の方が評価が高いようですが,私は,メカゴジラはあの頭=顔あっての存在感なのに,それが無くなっても大丈夫だなんて,「タイガーマスク」のミスターノーじゃあるまいし,と白けたものでした。それに,メカゴジラの進退を握るのがゴジラとの戦闘ではなくけっきょくサイボーグ桂の生命であるという設定にも合点がいきません。

(2) ゴジラ対ヘドラ

現在では「演出が変」という低評価の方が一般的なようですが,「子ども現役世代」としてリアルタイムに映画館で本作を視た小学生の私は,大人がゴジラシリーズという「怪獣もの」で社会的な何かを訴えようとしている,と素直に受け止め,そのメッセージも読み取りながら熱心に視たという記憶があります。ここでも平成以降の「本編の人間ドラマもよく描けている」とかいう意識の方が却って幼稚ではないのか。

(3) ゴジラ(1954年)

(1) (2) を相対的に持ち上げたかったのでこれを (3) としましたが,ほんとうはまあ,別格でしょう。高専ロボコンでいえば勝敗無視のダントツのロボコン大賞。それはわかっています。ただ,「ゴジラはこれ一作でよい(だけがよい)」という言い方があるとすればそれには異を唱えたい。ゴジラにせよ007にせよ寅さんにせよ,私はまったく未知ですがたぶん釣りバカ日誌にせよ,別ジャンルですがウルトラシリーズにせよ,連綿とシリーズ化されたものというのは,ある視点からはこれ,別の角度からならあれ,という風に,優れた作品が複数個出てくるものだ,というのは,少なくとも経験則としてはあると思うからです。

(4) ゴジラ2000

私は平成の連作よりは本作の方がかなり好きです。まずゴジラの意匠がよい。鋭く小さくなったのは歓迎でした。平成のゴジラはどうみてもごつ過ぎます。民間団体=ゴジラ予知ネットワークを据えたのも,ほっとします。「本格的」「大人の鑑賞に耐える」ということの中身が,ただ総理大臣や政府要人を並べて,自衛隊・軍隊を組織的に描いて…というのでは,これまた「意識が逆に幼稚」ではないのか,と。

(5) ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘

本作はこれまであまりちゃんと視聴したことはなく,まさに日本映画専門チャンネルの昨年の放映での視聴による印象をもとにしています。娯楽編として意外にもよくできていた感がありました。子どもの時のTV放映では「エビの怪獣エビラ」という存在自体が何だかしょぼく思えたものでしたが,そのエビラとゴジラの特撮シーンも今改めて視るとけっこうたのしめたのでした。

(6) 三大怪獣 地球最大の決戦

(5) とは違い,「現役の子ども」としての私は本作や「怪獣大戦争」「怪獣総進撃」がやはり好きでした。子どもでしたから(笑)。何といっても3体以上の怪獣の登場というのはそれだけでわくわくしたものです。特に本作はその先鞭で,筋も密でしっかりしていたような。キングギドラ降臨のシーンは怪獣美の極致です。

(a) ゴジラvsメカゴジラ

「対メカゴジラ」と対照的に,メカゴジラの意匠のまずさに尽きます。二代目にがっかりということではゼットンが想起されます。予算の都合や自転車操業的な現場という事情のあったろう『帰ってきたウルトラマン』においては仕方ないかと受容もできます。が,満を持して登場した平成ゴジラシリーズのメカゴジラが,どうしてまた初代より不格好になるのか。おまけに両肩に鈍そうな重そうな装備を背負っていたりする(溜め息)。そういうところに美的感覚を注ぎ込ませることなく,「本格的なプロットによるドラマ作り」でいくら外堀を埋めても「却ってダサく,幼稚」とは言えませんか。特撮も本編も散々大げさなことを掲げ繰り広げたあげく,最後の台詞が「生命と機械の差(がメカゴジラゴジラに負けた理由)」…。それを特撮や周到なストーリー展開や台詞運びの有機的連関で表現してこそ怪獣映画ではないのか。脈絡なくまとめの決め台詞にだけしてしまうことが安直だと思うのです。ゴジラを蘇生させるのがラドンの“光のキラキラ”というのも,納得いきません。──こうした“光のキラキラ”批判は以前クリ拾い(2)およびクリ拾い(34)にも書きました。──

(b) ゴジラvsビオランテ

本稿第1段落に書いた通り,ラスト(ビオランテの最期)の演出・映像に対する著しい違和感が拭えません。

(c) ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃

こちらはゴジラの意匠への違和感。「白目」と「ワニ顎」の2点です。ゴジラを「恐怖の存在」としたかったことの一環だそうですが,そういう,一監督の「演出対象」としてころころ変えるような意匠としてゴジラという存在を捉えていることがそもそも違うのではないか。瞳の無い目も,長方形のショベルのような下顎も,過去のゴジラに似ていない,もしくは,過去のゴジラよりも別の何かに似てしまっていて,「ゴジラのリアリティー」からは離れている。そこを犠牲にすることは,内容以前の問題だと思います。

(d) ゴジラvsモスラ

バトラの存在が半端だったこと,音楽の挿入のされ方が冗長だったことの2点。後者について,その程度(の低さ)は,(別ジャンルながら)『ウルトラセブン』の劇音楽の周到さに比べれば,「何だこれ」と呆れるほどであったという記憶があります。曲自体の質ではなく,その挿入のされ方について言っています。ただ,(a) や (c) と違って最近再視聴したわけではないので,印象更新の可能性も高いのですが。