音楽の編み物

シューチョのブログ

マァイケル・ヨンデル「ハードカバーと白熱電球」(12)

  民族文化映像研究所 

  映像民俗学シリーズ「日本の姿」第15巻

  『世界文化遺産 飛騨白川郷 草・つる・木の恵み』

  (DVD、紀伊國屋書店、2005年)

 

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法隆寺の建材のくずを集めて、木の強度の研究をなさった小原二郎先生が、「木の文化」という本をだされているんです。私たちの常識では、建築材料の木は伐られたときに死んで、強度はだんだん落ちていくと想像するわけですね。ところが小原先生いわく、伐られてからだんだん強度は増していき、千年ぐらいがピークになると書いておられるんです。だから千年も保っているんだ、という言い方をしているんです。考えてみたら、ふだん私たちは、木は伐られて死んだのに、なぜ何百年ももつんだろうということを疑問に思わないでいますね。木の生理というのは、私たちが思っているような単純な生理ではないのかもしれない、少なくとも私たちが常識的に思っている強度や生命という認識、さらにはその相関関係というようなことを、考え直さなければならない。そういう生命的な理解を深めたいですね。

────(姫田忠義、ライナーノーツ4頁)

 

 一昨年でしたか、民族文化映像研究所姫田忠義による上映会+講演会に参加しました。各地方の伝統文化を丹念に追った映像作品群はたいへん貴重なもので、姫田自身による渋い声のナレーションも心に滲みます。今回は図書館にあったものを借りてきたため、ライナーノーツも読めました。対談起こしなのですが、その内容の深さに驚きます。引用部分の後半はおそらく姫田独自の考えだと思われますが、その、伐られた後の木の性質の変化をも木の生命・生理(の継続)として捉えるという発想には初めて触れました。

 

 例えばベートーヴェンの音楽が現代に再現されるとき、実は作曲家生前当時よりもその意味と強度をぐっと増して伝わる可能性があるのではないか。いえ、そのように再現されるのでなければ本当の再現とはいえないのではないか、そういう厳しさも包含するのではないか、などと、いささか唐突ながら、普段の自分の問題意識に引き寄せつつ考えることもできました。