音楽の編み物

シューチョのブログ

クリ拾い (37) ──電人ザボーガー、GO ! ──

 記事の性質上、当該作品の“ネタバレ”を含みますので、ご了承下さい。

 映画「電人ザボーガー」を観ました。「特撮オペラ」と自ら銘打った通り、すばらしいエンターテインメントでした。いえ、さらに「特撮オペレッタ」「特撮新喜劇」というべきか(笑)。原典のTV版本放映を実は僕はほとんど観ずに過ごしたので、今さらながら悔やまれますが、当時の記憶がある人ならなおのこと喜びもひとしおなのだろう、と羨ましく思います。世界観のクサさ、バイク時の野暮ったさ、ヘリキャット(ツ)のしょぼさ、敵キャラのお粗末さ…、それらすべてがザボーガーファン、ピープロ特撮ファンには愛おしいはずですが、そういうことを知り尽くした、徹底した作り。あるいは逆に、当時は特撮の拙さから頭に描いた通りの映像化ができず「ほんとならもっとカッコいいはずなのに」という部分の、その「ほんと」が、映像技術の進化によって多く実現しているのも喜ばしい点だろうと思います。公式サイトの村石宏實氏のコメントにもある通り、CGを駆使したワンカットの変身シーンなど感涙ものなのでしょう。作り手たち自身も無類のザボーガー好きであることが伝わってきます。やはり公式サイトで鶴巻和哉氏のいう「ザボーガー愛」ですね。

 引用ついでに公式サイトからもう一つ拾えば、古谷敏氏の「昔の作品よりレベルアップした、『カッコいい』映画になっていたので感動した。人間のやさしさを感じさせてくれた。」という、この映画にはいささか不似合いなほどの“物静か”なコメントも、実は当を得ていて、味わい深い。あるいはまた、「科学を悪に使う者、捜せ、許すな」と謳う主題歌の精神を、現代日本のすさんだ政治事情に絡めてふと小出しにするシーン(控えめに過ぎるといえばそうですが)もちゃんと盛り込んである。こうした多面性こそ、真に優れたエンターテインメントの備える特性ですね。

 配役も、山崎真実のミスボーグをはじめ皆うってつけでした。いえ、その中で、主役の板尾創路だけは「はずし」といっていい。もちろん最良の意味で。最高にウマイ「はずし」。「熟年期の大門豊」の存在はこの映画の大きな意義なのでしょう。つまり、原「ザボーガー」放映当時に “現役の子ども” だったわれわれの世代が、“実際に、今” ザボーガーと共演する、というファンタジーですね。それに、そう、「青年・大門の25年後」の年齢が原「ザボーガー」放映約35年後のわれわれの世代の年齢とほぼ揃う、というのも絶妙なタイミングです。で、そのことは原作品の作中世界とは当然ながら無関係であるので、配役は「はずし」とせざるをえませんが、では誰で「はずす」のか、と考えた場合、演じるのは確かに板尾創路を置いてほかにはない(彼はザボーガー世代というには少し上かもしれませんが、それでも)…と思わせます。配役の「はずし」といえば、やはり“無意味系”エンターテインメントの醍醐味である実写版映画「ヤッターマン」のドロンジョ深田恭子を思い出します。彼女の場合は「“実の”ドロンジョよりも若くて美しい」という「はずし」でしたが。

 さてしかし、僕にとって、感動が最高潮に達したのは、第2部の秋月玄と板尾大門のバイクチェイスシーンでした。その理由については、いかにネタバレを断っているとはいえ今は書くのを控えておきます。時期をみてまた…。