音楽の編み物

シューチョのブログ

言の葉と音の符、楽の譜は文の森 (52)

 フジテレビ ONE「夜のヒットスタジオ」で1977年12月19日の回が放送されました。これは当時、確実に見ていましたね。って、もちろん、日付ではなく映像を見てわかったのです。33年ぶりに初めて再放送を見たわけですが、憶えているものです。高田みづえビードロ恋細工」、太川陽介「cry,cry,cry」などは、すっかり忘れていた歌ですが、「あぁ、あったなぁ!」と記憶が甦りました。やはり、何だか嬉しくなります。

当時の僕は、“新もの”だったマイクロカセットレコーダー(今ならICレコーダ)を父に借りて歌番組を録音したりしていました。「風の駅」を録音したのはたぶんこの回の夜ヒットです。野口五郎のジャケットの色まで記憶に残っていました。

もともと新御三家の中では歌唱力に長けた野口五郎贔屓だった僕でしたが、片思いしていた女の子も彼のファンだと知って、よけい意識して見るようになったのでした。「風の駅」も早くフルコーラスおぼえて彼女と話題を共有しよう、という一心だったのでしょう。

同じクラスの、いつも一緒に遊んでいたグループの中でも、K、T、僕の男子3人とI、Yの女子2人について、Tくんと僕はYさんが好き、女子は2人ともKくんが好き、KくんはYさんと両思い、…という関係で過ごしていました。…Dくん、憶えていますか。君はWさんが好きだったね(笑)。

「風の駅」の2番のサビの「ただ君が幸せであれば 僕なんか忘れてもいいさ」を聴くたび歌うたびに、自分の気持ちを彼女に告げているような気分になり、「これは“僕の歌”なんだ」と、至極まじめにそう思ったものでした。

Tと僕が、「勝手にしやがれ」の「行ったきりなら」のところで、借りた女子の制帽を投げ飛ばしては喜んでいたのも、この時期です。

クラスで一番チャーミングだったIさんと、Iさんとタイプが違う背の高い美人だったYさん。男子のわれわれからみてもライバルではなく親友に見えたし実際そうだった2人でした。で、僕は断然Yさん(笑)。チビの僕はいつも憧れの気持ちで彼女を見上げていたのでした。この2人を含むみんなといつも一緒に休憩時間を過ごしていたあの頃、実はそうとうハッピーだったのだ、と今さらながら感じ入っているところです。上記の通り、Iさんて気の毒な立場といえばそうなのですが、彼女はとても魅力的で、何だかあわれむのは失礼というか…うまく言えませんが、彼女自身の小6女子なりの複雑な思いは知る由がないとしても、少なくとも僕らからみて可哀想な存在などではぜんぜんなかったのです。また、僕もTもふられっぱなしだったのですが、でも何だか、それはそれ、みんなで遊べばそれもまたたのしい、といった雰囲気の中で過ごしていました。

僕らは、上記のような、まるでさだまさしの「昔物語」(アルバム「うつろひ」所収)で歌われるような関係でいながら、いつも明るく楽しく遊ぶという付き合いもできてたんですよね。「昔物語」の登場人物は大学生ですが、当時の「リアル小学生」たちもわれながらなかなか素敵だったのだとしみじみ思い起こしております。

ただ、僕は今も昔も人付き合いは不器用で、迷惑だった面はあったろうなあ…と。Yさんとも他のみんなとも、当時の現実・生活を今、タイムスリップしてリメイク・リファインできればさらにいいのに…とも夢想します。──とは、昔を振り返れば誰しも大なり小なり思うことなのでしょうが、僕も例外ではありません。少なくともお礼を言いたい気分です。当時のみなさん、ありがとう。