音楽の編み物

シューチョのブログ

言の葉と音の符、楽の譜は文の森 (27) ─FM大阪出演[3]─

 「宇野功芳の音楽夜話」5月の第3週分について書きます。

今回の話題は昨年亡くなった作曲家・松村禎三についてでした。ピアノ協奏曲第1番と交響曲(第1番)がかかりました。松村の音楽について熱く語りたかったのですが、自分としては少々不完全燃焼の自覚があります。放送で僕は松村のことを「東洋のブルックナー」と称しましたが、これだけ言ったのでは先生にもリスナーにもおそらく何のことか伝わらなかっただろうなあ。

松村の音楽には「生命の根源のエネルギーの噴出」があり、「地上の生の営みのすべて」が宿っている。そこのところが、まるで異種異次元でありながらも、宇野先生が「宇宙の鳴動」「森羅万象の響き」と評するブルックナーの音楽と通じると思います。

とこう説明していれば、先生も「ほーう!なるほど、まあ、東洋のブルックナーってのは強引だが、きみの言いたいこともわかる」と頷いてくれたんじゃないかな、と想像しています。それでも、「ピアノ協奏曲第1番は、夕焼け──夜行性の生物などが蠢くなど、実は「無」ではなく様々に何かが「在る」世界としての夜──朝焼けの光、を描写した《日没から夜明けまでの一大叙事詩》である、などと想像するのも一興ではないか」という自説(→注)を、「それでは聴いてもらいましょう」の直前にちょこっと早口で挟むという機転を効かせることは何とかできました。

もう一つ思ったのは、吉川プロデューサーの粋な選曲についてです。2つの曲目自体は僕が選びましたし、ピアノ協奏曲については、後半から最後にかけてのピアノのカデンツァ的部分をかけてもらうよう僕がお願いし、その通りにしてもらえました。が、交響曲については、僕自身は第1楽章か第3楽章のどちらかを希望していたのです。交響曲(第1番)といえば、まず何といっても冒頭のインパクト、あの、修行僧が豪雨に打たれながら雑念を振り払ってしゃにむに読経するかのような、木管の湿度の高い現代的アルペジオの弱音開始から一気に最強奏へとたたみかけていく、すさまじい音場が生成する様、それをぜひ聴いて欲しいし、フィナーレの、うねるように続く無窮動的主題の提示や、終盤の金管グリッサンドによるパワフルなクライマックスも捨てがたい。しかし、吉川さんはそのどちらでもない、何と最も地味な第2楽章を選びました。えぇっ、聞いてないヨ!と思いつつも、その意図はすぐに察知できました。両端楽章とはうってかわって音の要素の少ない、フルートソロやハープなどが遠く静かに鳴り渡るだけの短く断章的なこの音楽が、番組の今回のこのトークコーナーの雰囲気を受けるのにまさにぴったりだったのです。深夜という時間帯にもまったくもってふさわしい。そういえば、ピアノ協奏曲第1番についても、カデンツァ的部分ではなく、その直前の、ピアノと全管弦楽が築き上げるこの曲最大のクライマックス部分を選ぶ方が「普通」の選択だったでしょう。振り返ってみれば、「生命の根源のエネルギーの噴出」「パワフルで高密度な、高低に広がる音の強奏の堆積」という松村作品の一大特徴からすれば、どちらも「はずし」の効いた選曲になりました。その一大特徴についてはトークでもちょうど?言えていないわけで、松村作品の無難な紹介にはならずとも、今回の番組としてはかえって一貫した構成になってまとまりがついたようにも思えてきます。おみごとでした。

注:ピアノ協奏曲第1番が単なる標題音楽・描写音楽でないのは言わずもがな。われながらなかなかうまい喩えとは思っていますが、そういう比喩に収まりきるような小さい作品ではもちろんありません。

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