音楽の編み物

シューチョのブログ

クリ拾い (13)

 新書における「~の品格」の流行。「品格」を書名に使って声高に主張すること、そういう本を量産販売すること、それが売れたからと他社や別の著者や同一の著者が追随すること、それらの需要が大きいこと…、何ともまあ、幾重にも品格に欠ける行為・状況であり、甚だしい自家撞着・自己矛盾と言えます。『親の品格』という本も出ているそうで、某TV番組をちらっと見かけたら、「コメント6秒ルール」の中で、遙洋子さんが「親と子というのはもっと動物的な関係。産んだ途端、産まれた途端にどうしようもなく始まる。品格など不要。…って、私は産んだことがないから知らないが」としっかりオチまで付けて喝破していました。さすが「上野千鶴子にケンカを学」んだだけのことはあります。正確な記憶ではないこともあり書き言葉に直して引用しましたが、関西弁口語で一気に斬っていた痛快さが伝わらないのは残念です。

 大叔母の故・節子は、若い頃少しの時期俳優をしていたこともあり、芸能人のルックスなどに一家言持っていました。杉浦投手や(若い時の)野村克也のファンで、南海ホークスを応援していたと聞きます。大相撲では初代朝汐、豊山、魁傑など。また俳優なら加藤剛竹脇無我が好きで「大岡越前」は毎週欠かさず見ていました。で、節子はよく、自分の気に入らないタレントなどを「品がない」という言い方でけなしていました。僕は子ども心に人(の主にルックス)に対する「品のある/ない」を節子に仕込まれたような(笑)。「品がある/ない」はいくぶん差別的なニュアンスをも含みえますし、この節子の言い回しを反面教師として、そういう表現を不用意に用いるべきではないということも僕は学びました。が、新書の「~の品格」現象に対しては、節子に倣って「何や、品のない!」と一喝したいところです。