音楽の編み物

シューチョのブログ

クリ拾い (4)

──本稿とも関連する「さかあがり英作文.JP」について、大幅に改訂加筆した【新版】(タイトル未定)の連載を遅くとも年内に開始する予定です。乞うご期待。(2012年10月追記)──

  英作文解答に関する「好奇心のわだかまり」について (2)

 前回で、「表面的」逐語訳について述べました。これについて、太田千義編著『毎年出る頻出英作文』の中に興味深い例があります。同書では、全問題に対し、太田による訳が2つ、Thomas J. Cogan、Jayna T. Tanakaという2人の「ネイティブ(バイリンガル?)」の大学教員による「米人訳」と呼ばれる訳が1つ、合計3つの解答が用意されています。

──

始発の電車に乗るために,できるだけ早く起きたほうがいいでしょう。

──(太田千義(編) 『毎年出る頻出英作文』 日栄社、1994年、86頁)

 この問題文に対しては次の3つの解答が与えられています。

─(1)─

If you want to catch the first train, you had better get up as early as possible.

─(2)─

You should get up early as you can if you want to be in time for the first train.

─(3) ─

It is probably best to wake up as early as possible to be in time for the first train in the morning.

──((1) (2) (3) とも前掲書、87頁)

「子どもは…」が「All animals …」となるような劇的?展開に比べ、大差ないように見えますが…、この中で注目したいのは、(3) です。

 まず possible までについて。「起きたほうがいい」は、私も you had better や you should を思いつきました。「~したほうがよい → had better ~」という英訳パターンです。いえ、私を含むごく普通の学習者にとっては「had better ~ → ~したほうがよい」という和訳パターンをまず憶え(させられ)たことが先でしょう。つまり、英語→日本語という場面で出た表現の対応を反転させ、それをまたパターン化する、ということをやっていたわけです。このようなパターン処理の先行によって、私たちの意識から抜け落ちることは何でしょうか。それは、 「したほうがよい」という表現の中に、すでに「主語─述語」の関係が盛り込まれている という事実です。(3) だけが、この「したほうが よい」を「直接」第2文型(SVC)の英文に引き写しています。さらに、この原文の「ほう」は比較相手のない(または不明な)「ほう」ですから、─あえて細かく対応させて訳出するとすれば─best という最上級で表されるのがベストでしょう。そう考えて、残る1語の probably を見ると、これが「でしょう」の訳出であることに改めて気づきます。ここまで、原文と訳文 (3) は、もはや逐語的にもほとんど同じと言ってよく、違いとしては、「ほう」や「でしょう」とそれらのここでの訳語との品詞の違いや、

・英語では仮主語 it を置く述べ方がある

といった、両者のいわば「本当の」違いだけが残ってくるのです。

 次に2つめの to 以下について。「始発の電車に乗るために」には、「乗る」の動作主に当たる語がありません。この点もこのように、節ではなく不定詞句にすることで直訳的に英訳できる。それなのに私もつい if you want to… とやりました。それはたぶん、「英語は主語をつねにはっきりさせる。日本語は主語がないなどということがあり、英語に比べて曖昧な言語だ」といった「英語教育言説」が頭から離れなかったからではないでしょうか。だから、日本語話者が日本語を見ているのに、そこに「乗る」の動作主が 書かれていないことに気づかない。「節にはSとVが不可欠」「S─Vのセットが節を作る」というのは確かに重要な構文上の原則ですが、ならばこそ英語の先生は、恣意的な価値判断を交えず、ただそれだけを冷静公平に伝えてほしいものです。

 さて、もうお分かりかと思いますが、

(3) こそが「米人訳」なのです。

みごとな直訳。「(始発に)乗る→ be in time」の言い換えと in the morning の付加が惜しまれます(笑)。「米人訳」が太田の訳の一方と一致する例も他に散見されることからすれば、「Cogan、Tanakaの2人は2つの太田訳をまず見た上でそれらとは異なる訳を“あと出し”する」という状況ではないようです。すなわち、「ネイティブ」こそが、意外にも英作文の際には日本語の原文を「直訳的に眺めている」ことがあるのではないか。そんな仮説さえ立てることが可能なのです。