音楽の編み物

シューチョのブログ

ひとりぼっちの宇宙人 (21)

第 II 章 ダン=セブンという多面体

4 地球人とダン=セブンを“見下ろす”宇宙人

  第8話「狙われた街」(2)

 アパートの屋根が二つに割れ、メトロン星人のロケット=円盤が飛び立つ。アンヌの連絡で出動したウルトラホーク1号。双対型円盤の片方を撃墜。巨大化したウルトラセブンメトロン星人が出現。川面に映る2人。画面全体が夕焼けの色に包まれる、有名な特撮シーン。セブンの赤い体に夕焼けの光が反射し、古ぼけたモノクロ写真のような色合いに映る。そこへエンディングのナレーションと音楽。

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 メトロン星人の地球侵略計画は、こうして終わったのです。人間同士の信頼感を利用するとは、恐るべき宇宙人です。でも、ご安心下さい。このお話は、遠い遠い、未来の物語なのです。え、なぜですって? 我々人類は今、宇宙人に狙われるほど、お互いを信頼してはいませんから。

───(前掲DVD)

 遠い未来の物語の現在からの時間的な“遠さ”が、遠い過去の古びた写真の現在からの時間的な“遠さ”に反転される形で、みごとに表現される(注1)。しかし、そこに映るのは下町のアパートであり、そこから聞こえるのは下請け工場の機械の稼働音と野球中継のラジオの音であった。とするとこれはやはり、ありえない現在の、すなわち、そうあってほしいが未だありえていない現在の物語だったのであろうか。「人間同士がお互いを信頼すること」と現在の現実との“遠さ”。「お互いを信頼していない」から「安心」してよい、という痛快な逆説的オチ。──優れた新作落語「狙われた街」の一席は、かくして終わるのある。

注1:余談になるが、筆者は、史実をテーマにした映画などにおいて時代の古さをモノクロで表現するという手法を実はあまり好まない。当時の人々の目にはその光景が、現在のわれわれが現在の世界を見ているのと同じように、フルカラーで映っていたはずだからである。そこをストレートに出してこそ、フィクションで歴史を綴る意義が出て来よう。最近、NHK専門チャンネルなどで、1930~40年代の戦前戦中の世界─日本の社会をカラーで記録した貴重な映像が放送された。そこに映った光景は、現在のそれと何ら変わりのない「明るい」「普通の」光景であった。まさに「現在は戦前と変わらない」のであり、改めて戦慄をおぼえる思いであった。恥ずかしながら、モノクロ手法を好まない筆者自身さえ、“モノクロ時代”は世界自体もモノクロであったかのような錯覚についつい捕われていたことになる。ヒトラーの演説も大政翼賛会も竹槍の演習も、フルカラーの世界の中でのリアルな出来事である。アンティークではない、極めてモダンな…。