音楽の編み物

シューチョのブログ

ひとりぼっちの宇宙人(15) II.1

第 II 章 ダン=セブンという多面体

1 スーパーヴァイザーとしてのダン=セブン

  第7話「宇宙囚人303」 

 『セブン』第1クール12話のうちの約半分は、格闘シーンが無いか、あるいは敵対相手が弱いためにあっけなく片が付く。クール星人はアイスラッガー一発、チブル星人はエメリュウム光線の一撃でいずれも離れたまま倒され、メトロン星人との闘いはストップモーションの数カットで処理される。また、ペガッサ星人は、アイスラッガーの一撃を腕に受け、構えていた銃を落とすと、怯えるように逃げ去る。怪獣との格闘=とっくみあいが見ものであった『ウルトラマン』とは違うことをしよう、という作り手の意志の表れであろう。

 本挿話「宇宙囚人303」において、ダンは、墜落するβ号からただ脱出するだけのためにセブンに変身する。変身しなければ脱出できない状況なのは確かだが、その後も、格闘がないばかりかアイスラッガーや光線さえ使わないまま、キュラソ星人の最期を見送るときには何ともうダンに戻ってしまっている。セブンの“出演時間”はわずか9秒(→注1)。これはおそらく、あらゆる特撮ヒーロー中の最短記録であろう。それでは「宇宙囚人303」の特撮シーンはつまらないのか…。変身までのいきさつはこうである。

キュラソ星人はアンヌを操って防衛軍基地に潜入、β号を盗み飛び立つ。アンヌが人質として同乗しているため、攻撃はできない。

───

  ダン「隊長、無謀な提案かもしれませんが…」

キリヤマ「…何だ」

  ダン「α号とγ号を使って、空中でドッキングするんです」

フルハシ「ドッキング?!」

……

  ソガ「敵も飛んでるんだぞ」

  ダン「それをやるんです!」

(挿入曲「ウルトラ警備隊の歌」開始)

───(金城 DVD[99b:7])

かくしてウルトラホークのミニチュアワーク・シーンとなる。「ドッキング作戦開始!」というキリヤマのかけ声に合わせ、音楽がさらに軽快な「ウルトラセブンの歌 Part II」に変わり、3機を真上から見下ろすカメラワーク、キリヤマの迅速的確な指示、逃げるβ号、追いつく2機、火花の散るα号とβ号の接触、一度め失敗、二度め…。ドッキングの瞬間の連結音を聞いて、子どもならずとも思わず小さく「やった!」と叫びたくなるだろう。ドッキング成功後、ダンが操縦席の星人を取り押さえ、ソガがアンヌを救出するも、β号に残ったダンに星人が火を吐き応戦、室内は火災となる。ダンにβ号を切り離すよう進言されたキリヤマがそれを実行…、そして上述の脱出シーンとなるわけだが、この空中劇、合計3分26秒あり、セブンの映る時間の約23倍、長くて短い、わくわくする場面の連続である。この稚気あふれる演出、つまらないどころか、むしろ第1クールで最も記憶に残る場面の一つといってよい。ここでも、「3体に分離するウルトラホーク1号」というフィクションが、見事に生きているのである。

 さて、キュラソ星人は自ら招いたβ号爆発の炎が体内のガソリンに引火して自爆するのだが、このとき、ダンは心の中でこうつぶやく。

───

「広い宇宙でも、もう君の逃げ場はないのだ、キュラソ星人。だがそれは自業自得というべきだ。宇宙でもこの地球でも、正義は一つなんだ」

───(前掲DVD)

ダン=セブンの同一性を象徴する台詞である。(例えばキリヤマなど)地球人が言えば手前味噌に聞こえる言葉を宇宙人であるダン=セブンが言うことで客観性・第三者性が保たれる。と同時に、地球人の姿のダンが言うことで、正義を目指す地球人を代弁しているという意味も見いだせる。

 以上のように、これら2つの挿話では、宇宙人の侵略侵入に立ち向かう地球人を導くスーパーヴァイザーとしてモロボシダンは存在する。「姿なき挑戦者」では地球防衛軍に作戦のアイデアを提示。「宇宙囚人303」でも、率先してアンヌ救出のアイデアを出すことでウルトラ警備隊の作戦・行動をリードし、また、ナレーションの形で間接的に“宇宙の中の人類”の目指すべき正義の理想を示した。ここに既に、“地球人の”ダンと宇宙の超人セブンとの二重性を見いだすことができる。だが、ここではまだ、この二重性の矛盾は現れてはいない。これら2挿話においては、キュラソ星人(の総体ではなく、出現する囚人の単体)やクール星人の側に非があることは、地球人の目にもダン=セブンの目にもひとまず疑いがないからだ。

注1:全身がセブンになった瞬間、β号からの脱出・飛行、着地、の3カットの合計時間が8秒台である。