音楽の編み物

シューチョのブログ

ひとりぼっちの宇宙人(7) I.1-2

第I章 ダンとセブンの二重性

第1節 ダンとセブンの同一性

1─2 ウルトラマンとは誰か

  郷秀樹の変身と不可解な最終回 

 別人型のアイデンティティ不明を示す最後の例として『帰ってきたウルトラマン』を挙げておく。郷秀樹─ウルトラマン(→注4)の変身は、彼らだけの独特のスタイルを持つ。すなわち、郷がピンチになり、かつ郷とウルトラマンの意志が統一されたとき、郷は閃光とともにウルトラマンに変身するのである。したがって彼らには変身アイテムがない。

 この設定が劇中にどう「生かされる」かというと、例えば第2話「タッコングの逆襲」では、郷が変身しようとしても変身できないというシーンがある。作戦を無視して勝手な攻撃をしてピンチになった郷は「こうなったらウルトラマンになってやる。ウルトラマンになれ!」と叫び精神統一するが変身できない。つまり、郷の心がけによってはウルトラマンが変身に同意しないという設定なのだ。「俺は確かに思い上がっていた。ウルトラマンであることを誇らしく振り回そうとしていた。その前に郷秀樹として、全力を尽くし努力しなければならなかったんだ。」と反省した郷はこの後、郷の姿のままぎりぎりまで必死に救助作業をし、今度は自然と光が近づき変身…という運びになる。

 このように、郷とウルトラマンはそれぞれの意志をはっきりと持った別人である。ところが、最終回「ウルトラ五つの誓い」で郷は「故郷の星が危機だから帰らなければならない」と次郎少年に語る。が、これはもちろん郷の事情ではなくウルトラマンの事情だろう。『ウルトラマン』のときとは違って、余分の命が無かったのだろうか。ならばそこは仕方がないが、問題はそんな所にあるのではなく、次郎との別れの場面における郷が、もはや郷ではなく完全にウルトラマンであることにある。次郎にとって郷は頼れる兄貴的存在だったはずなのに、このときはいかにも強面の親父的存在に早変わりし、えらそうに次郎を諭すと、さっと変身して飛び去ってしまう。さて、郷秀樹よ、あなたはどこへ行ったのか。いつの間にウルトラマンになったのか。

注4:『帰ってきたウルトラマン』のウルトラマンは今では《ウルトラマンジャック》と呼ばれるが、この名前はずっと後になって付けられたもので、作品世界の鑑賞論である本稿で使用するのにはなじまない。放映当時は《ウルトラマン》といえば『帰ってきたウルトラマン』のウルトラマンの方であり、逆に『ウルトラマン』のウルトラマンを《初代ウルトラマン》と断わっていた。放映中の方のキャラクターを主とするのはごく自然な感覚だろう。そして、放映終了後しばらくは、二人が同時に話題になるときは《初代ウルトラマン》と《新ウルトラマン》(《新マン》)が併用されていたようである。