音楽の編み物

シューチョのブログ

わかる人、わかる時、わかる可能性(2)

吹奏楽部顧問時代(1994─2009)の演奏会パンフレットより 1995年(ウェブ初公開は2006年9月)

 「私の体は、私だけのものではない」─『ウルトラマン』最終回で、倒れた自分を迎えに来た故郷の星の仲間に向かってウルトラマンはこう告げます。そして、「自分がただ帰ることは一心同体であるハヤタ隊員の死を意味する、帰るなら彼に命を預ける(=自分は死ぬ)」と続けます。このエピソードを、安直な自己犠牲賛美としてではなく、「生命あるものの有機的なつながり」を示すものとして読みたいと思います。合奏音楽活動を営む者は、この「つながり」を知覚できる幸せな瞬間に出会うことが少なくありません。指揮者の身振りと奏者の視線とのつながり、各奏者個人の鳴らす音同士のつながり、その音が音楽の流れをつくる時間的なつながり、そしてそこに集まる「奏でる者」と「聴く者」とのつながり。それらの「つながり」が、無機的な糸の輪ではなく、うごめき変化する生命のイメージで描かれるとき、音楽の感動が生まれるのでしょう。