音楽の編み物

シューチョのブログ

言の葉と音の符、楽の譜は文の森 (46)

 ふとチャンネルを合わせた「題名のない音楽会」にHIROSHI登場。彼のピアニスティックで華麗な弾きっぷりを久々にたのしめました。

 番組は、「親子ほど年の離れた」と紹介された“こまつ”との対決ラウンドという形で進められました。まずは前座で「サッちゃん」と何か別の曲を混ぜて演奏するというネタを披露。「ピンクパンサー」を選んだこまつのネタもわるくはありませんが、あと一歩。対するHIROSHIは「わりとサッちゃん主体(ワルトシュタイン)」。いやあ、タイトルからしっかりツカミます。そして、演奏も、ワルトシュタインと「サッちゃん」が、あたかもそういう曲であるかのごとく融合する。左手の伴奏に導かれ右手に弾き始められるあの第1主題開始動機が、「サッちゃんはね」の動機にすり替わる。そうされるのを聴いて初めて、この2つの思わぬ類似に気づかされハッとする(笑)わけです。いや、似てないのかなあ。似てると思わされる?どちらにせよみごとではないですか。

 第1ラウンドのお題は「もしクラシックの作曲家がアニメオタクだったら」。HIROSHIのネタは「もし巨星ショパンがスポ根ものに出会ったら」と称し、スケルツォ第2番〜ノクターン第1番〜エチュード「革命」とメドレーする中に「巨人の星」の動機が織り込まれるというもので、例えばスケルツォ主題のオクターブ跳躍直後の狩りのリズムの音型が「行くが男の」旋律に化けたり、ショパンから「巨人の星」へシフトする度に笑えました。対するこまつは「悲愴」×「ベルサイユのばら」。うーん、選曲はなかなか粋なのですが、肝心のネタ自体がどうも薄い印象。

第2ラウンドのHIROSHIはクライスラーと「アイアイ」とで「アイアイの喜び」。こちらは、意外性よりも「そうそう、そこでそうくるでしょ」というように実際に来ておいしい、というネタでした。こまつ「ドナドナ」×「母さんのうた」は、上記同様、選曲は○ながらネタ自体の彫りが浅い。

 第3ラウンドは「パッヘルベルのカノン山手線ゲーム」。「カノン」のベース音4小節を繰り返しつつ、ネタとネタの間にカノン前半のサビの例のパッセージに戻りながら(これは不要で、ネタだけ次々やる方がより間が持ったのでは…)、あれこれの曲を両者交代で織り込んでいくというもの。これはまあ、ネタとしては基礎的というか、とりあえず和声進行(またはベース進行)の合った曲を選べばいいだけですし、二人としてもそれほど苦もなく、聴く方も退屈になるのでは…と思いきや、HIROSHIは後半「ジングルベル」「男はつらいよ」「炭坑節」を連発して会場を沸かせました。

 第4ラウンドは、曲を途中で打ち切ったその最後の動機を次の曲の最初の部分としてつなぐ「メロディーしりとり」。

世界に一つだけの花(HIROSHI)」

「メリーさんの羊(こまつ)」

「『水戸黄門ああ人生に涙あり(H)」

「かに道楽(こ)」

ユーモレスク(H)」

大きな古時計(こ)」

「黄金虫(H)」

渡る世間は鬼ばかり(こ)」

「ラ・カンパネラ(H)」

世界に一つだけの花(こ)」

というループを作って完成。最後の収め方は予想通りながら、おもしろくまとめられていたと思います。こまつはここでもどこか徹底せず、例えば、しりとりなので「ぴんとはさみを打ちふりあげて いきのいいのが気に入った」の割愛は仕方ないとしても、「とれとれピチピチかに料理」と始めたのであれば、「かにの網元 かにの網元 かに道楽の同じ暖簾の味つづき」と続けてこそナンボでしょう。「とれとれ…」部分をリピートするだけではねえ。関西人の“浪花のモーツァルト”への敬愛の念がどれほどのものか、兵庫生まれの彼も知らないはずはないでしょうに(笑)。「味つづき」の後“しりとられる”ために「とれとれ」に戻る方が、少々不自然でもむしろこの場合では許されるはずです。まあ、「題名のない音楽会」は一応“クラシック寄り”の番組でしょうから、HIROSHIに有利、こまつには不利、あるいは構成についてはHIROSHI主導だったのかもしれませんね。彼単独のネタは未聴ですし、あまり言えませんが、直観ではHIROSHIとはまだまだ格が違うような…。ただ、「黄金虫」から「渡る世間」へと「渡った」のは、なかなか冴えていたと思います。