音楽の編み物

シューチョのブログ

言の葉と音の符、楽の譜は文の森 (37)

 キタエンコ/N響の悲愴,序奏〜提示部冒頭を見逃しましたが,ほぼ全曲を視聴。第2主題前のTutti部分のテンポ運びなど,何か自分と類するものも感じます。

宇野先生は「悲愴は世紀末の大芝居」とどこかに書いていました。しかし,僕の眼には「悲愴」のスコアはそういうイメージとは別の景色に映ります。ロマン派の流れを汲む,しかしまぎれもない交響曲という古典的形式による音楽がそこにある。

先述の第2主題前のTutti部分や展開部においてヴィオラによる第1主題2小節めの16音符の展開が延々と織りなされて行く有様など,まさにそうでしょう。ソナタ的であり,フーガ的である。ここで一気呵成の速いテンポをとってしまうと,それらは活かされません。キタエンコはまさに,モーツァルトベートーヴェンにおけるソナタ形式の展開部の細かい音符を弾かせるようなテンポ(感)を敢行。第4楽章の最後の全強奏のクライマックスでも,一気に速めるのではなくじっくり歌った後,アッチェレランドをかなり後ろまで辛抱し,速めると同時に金管の上昇動機をやや明るめに彫像する,というのも,共感できる造型です。精神的な感銘・感興を大いに受けたかと言えばそれは違うのですが(笑),ともかくもその意図・表現姿勢には賛同できます。

演奏放送後の池辺氏の振り返りによると,キタエンコはどうやらインタビューで「悲愴」のことを「クラシック」と捉える発言をしていたようで,おぉ,やはりそうだったのか,と納得。

オーケストラも,コンサートマスターの篠崎氏をはじめとして,なかなかやる気を出して演奏しているように見受けられました。ただ,例えば第1楽章第2主題部の中間部で3連符を含む新旋律を出す所の木管など,フレージング=旋律造型がうまくありません。絢香ならばああは吹かないだろうに(笑)と思ってしまう。

また,キタエンコの表現も,特に中間楽章2つがどうも軽い。ベートーヴェンにも軽い演奏と重厚な演奏がありえますが,僕は同じ「クラシック」でも,後者を目指したいところです。