音楽の編み物

シューチョのブログ

言の葉と音の符 楽の譜は文の森 (20)

 第7回「詩のボクシング」全国大会

 ボクシングのリングの上で、1対1(青コーナー先攻、赤コーナー後攻)で自作の詩を3分間の制限時間内に披露してその面白さを競うというものです。主催者名は「詩のボクシング協会」ではなくて「日本朗読ボクシング協会」(→注)。そう名乗った以上、大会の主旨はそれにふさわしいものにしてほしい。「日本朗読ボクシング協会」が「詩のボクシング」の大会を催す。とすれば、「詩およびその朗読」を競うものであるべきでしょう。この場合、詩自体とその朗読とはもちろん一体となってその質がその場で決定されていくでしょうから、つづめて「詩の朗読」を競うといってもいい。ところが、この試合に暗唱で臨む選手が多いのです。

 ルールで規制すべきでしょうか。いえ、僕もそれは違うかなと今のところ考えます。しかし、「あくまで原稿を持って(または前に置いて)朗読するのが本来、暗唱はイレギュラー」という線が、大会全体に、ジャッジにも選手にも観客にも不文律的前提としてあるべきではないでしょうか。「リング下の実況解説者」の高橋源一郎氏は、身振り手振りの派手なパフォーマンスで演劇風だったある選手を「けっきょくは耳に入ってくるもので勝負しないと…」とマイナスに評していました。これは正しい。しかし、まだ、「パフォーマンスをしてもリング下には伝わらないよ」「今は言葉を聞いているんだよ」という意味合いに留まっています。もう一歩踏み込んで、「自作の書き言葉を朗読によって表現=再現=representする」ことが本筋である、というところまで指摘してほしい。そのとき、実は意味合いが反転し、「朗読というパフォーマンスも視覚的要素を含む」ことも見えてくるでしょう。

 あろうことか、1回戦から決勝戦まで、原稿を見ずに通したA選手が、優勝しました。しかも、A選手は、作った詩を暗唱しているようにさえ見えず、まるで今その場で思いついたことを話しているかのような即興風のスタイルを採っていました。仮想の話し相手もしくは観客に向かって、今語りかけているかのように見えるのです。観客もジャッジもリング下実況の小林克也楠かつのり・高橋各氏も、これを短絡的にプラス評価している空気が視ていて伝わって来ます。本末転倒ではないでしょうか。それはもはや「話芸」であり、詩でも詩の朗読でもありません。──彼が果たして、暗唱しているのか、それとも内容の大筋は決めつつも細かな一語一語については(同じ詩でも)毎回少しは違ったりするのか、判然としません。が、ともかくもその行為が朗読でないことだけは確かです。彼の仕方は役者の台詞回しに近いことから、以下では(あくまで便宜的に)「演技」と呼ぶことにします。──「今思ったことをしゃべっている」かのような世界を築きたい、というところまでは大いにけっこうなのですが、そのためには、「原稿を見て朗読する」よりも「原稿を見ずに演技する」方が、実はずっと築きやすいでしょう。つまり、当然ながら、朗読の方が制約が大きいのであり、その制約の中で即興風の語りのスタイルと同様もしくはそれ以上に自由に表現できたとしたら、その方がよほどすごいとも言えます。また、そもそも本大会は「日本朗読ボクシング協会」による「詩の」ボクシングであるのです。いずれにせよ、朗読よりも演技の方が評価は下がるというのが本来ではないでしょうか。

 この問題は決勝戦においても先鋭化しました。決勝戦は、これのみ2ラウンド行われ、第1ラウンドはこれまで通りの自作詩の披露、第2ラウンドはその場で引いたお題をもとに即興の詩を披露するというものです。リング上でお題を引き、即ゴング、そのままその場で発表せねばならず、まさに狭義の即興です。A選手は即興でもこれまでと同様のスタイルで、驚くほど流暢にやってのけました。A選手と朗読型のB選手とは、第1ラウンドではほぼ互角だったと思います。この評価は確かに僕の主観です。しかし、問題にしたいのは勝敗を決めた流れです。第2ラウンドが終了したとき、「Aさんはほんとの即興もすごい」という感じで、第1ラウンドの印象が吹っ飛んでしまい、「即興すごい」ということだけが突出して勝敗の分け目になったような流れであったことは、やはり解せません。即興で言葉が出て来るのは確かにすごい才能ですが、それだけにそこばかりが際立ちやすい。「お題による即興話芸の」ボクシングならぬ「詩の」ボクシングとしては、せめてラウンドの順番を入れ替え、第1ラウンドで即興詩、第2ラウンドで自作詩朗読、というふうにした方がふさわしいと考えます。

 以上、「詩のボクシング」におけるパフォーマンスの在り方の問題と、「暗譜と暗譜主義(1)〜(5) および(6)」で論じた音楽演奏における暗譜の問題との類似性について、改めて指摘するまでもないでしょう。楽譜を見ない/原稿を見ない/暗譜する/暗唱するのが、そんなにいいことか。どうして?ほんとうに?そう端的に嘆いておくことで、ひとまず締めておきます。

注:これはたぶん、協会名の途中に助詞(の「の」)が入ることを避けた、という理由が一つあるのでしょう。