音楽の編み物

シューチョのブログ

『ミステリー・カット版 カラマーゾフの兄弟』

『ミステリー・カット版 カラマーゾフの兄弟
ドストエフスキー頭木弘樹 編訳、春秋社、2019年)


まったく未読だった「カラマーゾフの兄弟」を、3日で読了?!嬉しくて今もつい笑みがこぼれます(笑)。 


先日ジュンク堂にて、最近出版された『詳注版 カラマーゾフの兄弟』というのを一度見てみたくなって、普段めったに訪れない「文学」の棚へ。目当ての書はなかった代わりに、それとはおそらく真逆の主旨の本書を発見、思わず手に取りました。


頭木弘樹さん、面白い。第1作?の『絶望名人カフカの人生論』(2014年、新潮文庫)も、解説に山田太一の名を見て即購入。他の著書も読んでみようと思っているところです。


頭木さんはご自分の肩書きを「文学紹介者」としておられます。「謙虚と自負」の両方が滲み出ていますね。文学にめっぽう疎い私にとって、頭木さんの「紹介」はこれから希望の光となる予感。


「はじめに」を読むと、『カラマーゾフの兄弟』の「ミステリー・カット」は「構想十年どころではない」も「非難が怖かった」そうで、トルストイ全集とドストエフスキー全集でスタートして創業百周年を迎えた春秋社から「何か百周年にふさわしいような記念になる本」をと依頼され「この機会しかない!」と思われたとか。

 

 ミステリー部分を先に知ることで、全体の道筋がわかります。どこがわき道で、この先どうなるのか、あらかじめ全体の地図を渡されるようなものです。
[……]
 また、ミステリーに関する結末はわかっていても、先にも述べたように、ドストエフスキーの小説はミステリーではないので、その面白さが減ることはありません。
──(「はじめに」、12頁)──

 

 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、三千ページ以上の大長編です。それを今回、二二二ページにまで縮めました。
 改行は逆に増やしてあります。
 章のタイトルや小見出しは変えてあります(オリジナルそのままのところもあります)。
 「はじめに」でも書きましたように、ミステリー部分だけを取り出して、なるべく読みやすく、一冊にまとめました。
 そういうことをしても、ちゃんとドストエフスキーらしさが濃厚にあり、ミステリーとして、文学として、一冊の本として成り立っていることに、きっと驚かれたことと思います。
 まさにドストエフスキーならではの、おそるべき力です。切ろうが突こうが、びくともしないところがあります。
──(「あとがき」、252頁)──

 

 この本を読み終えてくださったら、次はぜひ『カラマーゾフの兄弟』の全編に挑戦してみていただきたいと思います。
 読みにくいと言われている『カラマーゾフの兄弟』ですが、この本を読んだ後なら、ずいぶん読みやすくなっていることに気づかれるはずです。
 そして、この本ではカットされていたエピソードの面白さも、余裕をもって堪能できるはずです。
──(同、253頁)──

 

ラジオ深夜便の「絶望名言」というコーナーも人気だそうで、ちょうど今日深夜(明日早朝)に放送されるようです。

 

純青の香りと味わい

リカード・ムジーカの帰りに最近ちょくちょく寄るようになった酒店で、今日買ったお酒は「純青」。味や香りの特徴を記したポップ(店の人が書いて付けたもの)を読んで何となく好みに合いそうだと思ってこれにしたんですが、家に着いてから富久錦株式会社のウェブページを見るとその名の由来が載っていました。
 
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「純青」とは、炉の火が最高の温度に達したとき純青色になることから、それを、学問や技能が最高の域に達することに例えた言葉「炉火純青」に由来します。私たちも技と感性を磨き、最高の日本酒を作りたいという願いを込めて名付けました。
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「炉火純青(ろかじゅんせい)」、知りませんでした。Macの辞書も知らないようです。素敵な言葉です。
 
注ぐと、果実の香りがふわっと顔の前を占めるも、口に含むとそれがふと消え、しゅっとした辛口の味が訪れる。トリカード・ムジーカの演奏も例えばこの「純青」の香りと味わいのように流れていくといいのだろうな…と想像が広がるのでした。

甘い生活(野口五郎)

三連連唱の調べ[第8回](短調編)

 

[07] 甘い生活☆☆☆☆(山上路夫筒美京平野口五郎

https://www.youtube.com/watch?v=AvIpuUdS0iQ

 

甘い生活」は前回の「池上線」と非常に似ていて、特に歌い出しアウフタクトからの4拍の旋律線はほとんど同じです。そこから、「池上線」では「ドアのそば」に乗る旋律はそこだけ取れば「ごく普通」の接続的進行であるのに対し、「甘い生活」ではポンと1オクターブ跳躍して「モーニングカップ」という歌詞のキーワードを際立たせる。いわゆるAメロから掴みOK、サビでは高音を張り上げ劇的に盛り上がる。よくできた映画音楽のようです。さすがは長けた職業作曲家・筒美京平、ニクイですね。「んー」とは違う(笑→注)。

 

注:前回拙稿参照。「池上線」のサビには「池上線」という歌詞が乗り,その旋律線のクライマックスに「線」の「ん」が来ることを言っています。…それでも、「池上線」も何度も聞くうちには、その沁み出るような渋い味もわかってきます。プラハかっこえー!ジュピターすげえ!とモーツァルトに圧倒されつつ、そのうち、ハイドンのオックスフォードやロンドンをスルメを噛むように楽しめるようにもなる感じ…?ですかね。

 

☆☆☆☆(拍頭連唱歌、切分連唱歌) 拍頭単連唱または拍頭複連唱を多く含むもの。 長さ10以上の連唱を含むもの。 切分連唱や切分準連唱を多く含むもの。

 

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池上線 ─後ろ姿を追うアウフタクト単連唱─

三連連唱の調べ[第7回]
 
[06] 池上線☆☆☆☆(佐藤順英/西島三重子、西島三重子)
 
実は、本連載を始めるきっかけとなったのが「池上線」でした。確か、「地底のランナー」(注1)をYoutubeで視聴した際に横のリストに挙がってきたのだったと思います。
 
注1…キダ・タロー屈指の名曲。CDも持っているのですがYoutubeでも見つけつい視聴したのでした。
 
この最初の「発掘」によって私は、既知の三連連唱歌に気を引かれていただけの段階を超え「収集してみよう」「調べを調べてみよう」と思い立ったのでした。
 
歌い出しから拍頭単連唱が続きますが、それが主に弱拍から始まっている点が「氷雨」「想い出まくら」とは異なります。「氷雨」「想い出まくら」は、拍頭複連唱も強拍から始まり、そこに“訴え・甘え”の歌詞が乗る…、その感情のままのストレートなモノローグに、強拍拍頭連唱が実に似合っていたといえます。対する「池上線」の歌詞は叙事的で控えめ、主人公の女性は「氷雨」「想い出まくら」の二人よりもおとなしくしおらしい?印象です。旋律線もそれに応じ、連唱部分はそのすべてが弱拍から始まっていて、後ろの強拍へ寄りかかるように連なっていきます。また、サビの直前の「ハンカチーを」の「ー」が直前の「チ」と異なる音程に下げて歌われることで切分6連唱となる所にはいかにも三連連唱歌らしい味わいがあります。サビの始めは「(池上)せんー」。旋律線の頂点に乗る歌詞が「んー」とは…。実に珍しく、通常ならセオリー的にはまずい作法なでしょうが、この曲ではかえってそれが、鉄道路線名をタイトルとサビに持つ歌としての魅力の一つとなりました。自作自唱の西島三重子はそれを心得てか、さすが、すっきりとよく鼻に抜けているようです。
 
編曲もよく、前奏では、冒頭の鍵盤ハーモニカ?による三連連“奏”旋律の音色と、そのあとに続くヴァイオリンの細かい下降音型とが、どちらも印象的で耳に残ります。
 
カバーも豊富のようです。私の選ぶベストは、祝友子(いわいともこ)です。次から次へと、楽譜の音符に忠実に歌詞を乗せていく(注2)彼女の歌唱は、オリジナルと同じかさらに速いかというテンポとも相まって、車窓に移りゆく光景の速度を最も感じさせます。拍頭単連唱の各拍頭音が文字通りオンビートなのはもちろんのこと、頻出する拍央からの準連唱についても、唯一「じっと」のみ少し“ため”を効かせる以外は、「話す」「胸に」「白い」「握り」「今日も」のすべてを、きちんと拍央に嵌めていく。実は本家西島三重子もほぼ同様なんですが、祝友子の方がより徹底され、まさに指圧でツボを隈なく押されていくような心地よさが加わっています。それでいて、ただサクサク過ぎるだけではなく、「さがしながら」、「震えて」、「あなた」の「あ」、(2番の)「だわね」の「わ」などなど、歌詞カードのほぼ一行に一度は発音発声の聴かせどころがあって、主人公の女性の内面の襞が細やかに表出され、つい耳を澄ませたくなります。例の「んー」も実に女性っぽい鼻抜け声で、仄かな色気が匂います。最後に僅かにディミヌエンドがかかって終わるのも歌謡曲としてはレアですね。また、編曲/編曲者が原曲とは異なっていて、これがまたいい。あくまでも原曲の雰囲気/世界を保ちながらもまったく別の調べを鳴らす、真っ当な異編曲です。なかでも、前奏の、この曲の弱拍拍頭連唱の構造を直前予告するかのような弱起単連奏動機の反復と、中サビ前の三連符の連続音動機が、必然的かつ魅力的です。
 
「ごめんねなんて(言ったわ)」も地味な聞きどころ/比べどころです。祝友子はここをインテンポで通り過ぎ、ピュアな拍頭複連唱を聞かせ、潔いです。その逆に、リズムを「ごめんね…、なんて」という具合にまでかなり崩すカバーがあります。「まるで台詞のよう」「言葉を大事にしている」ともてはやされそうな仕方です。が、この「ごめんね」は、一人語りで私情を吐露する中で相手の声を回想しているのであり、芝居がかり過ぎてはおかしい。その点、本家西島三重子の「..ごめんね.なんて」とする一瞬の間(ま)は、一人称歌の語り口として相応しいと感じます。
 
注2…原譜がどうなっているのかは不明です。ある程度の線を予測してこう書いています。
 
また、カバーの中にはいくつか、どうしたことか、テンポの遅いものがあり、解せません。本連載で通底して伝えている(いく)「三連連唱歌のそれとしての魅力」とは、「パワフルな畳み掛け」です。「速いけれども軽く通り過ぎはしない」ところです。たとえ個々の例では原曲自体も遅い場合があるとしても、類的特徴としてはそう言えます。そもそも、テンポをただ遅くすれば、より気持ちを込められる/歌詞を大事に伝えられる、という考えがあるとすれば、まことに浅はかな発想です。加えてこの曲の場合、上述したように、電車に乗って景色の走馬灯を目にしている、というこの歌詞の本質を横に置いた時点で、歌詞を大事になどしていないことになります。すなわち「池上線に揺られ」ていない。言葉が嘘になってしまうのです。もちろん、遅く走る電車もあろうし、遅いテンポによるすばらしい歌唱・演奏の可能性までを否定してはいませんが。
 
とここまで書いてきて、ふと思い浮かびました。…あるいは、研ナオコが歌えば、スローな「池上線」もきっといい歌になるのではないか…。
 
西島三重子
https://www.youtube.com/watch?v=DbtjS_tU92A
 
祝友子
https://www.youtube.com/watch?v=YaD32OmHUQo
 
☆☆☆☆(拍頭連唱歌、切分連唱歌
拍頭単連唱または拍頭複連唱を多く含むもの。
長さ10以上の連唱を含むもの。
切分連唱や切分準連唱を多く含むもの。

話してよ、話してよ。─岡崎友紀─

三連連唱の調べ[第6回]

 

☆☆☆☆(拍頭連唱歌、切分連唱歌
拍頭単連唱または拍頭複連唱を多く含むもの。
長さ10以上の連唱を含むもの。
切分連唱や切分準連唱を多く含むもの。

 

[04] 氷雨☆☆☆☆(とまりれん、佳山明夫)
[05] 想い出まくら☆☆☆☆(小坂恭子)

 

強拍からの拍頭単連唱を重ねる2曲。それにしてもこの2曲、よく似ています。

 

氷雨」の日野美歌はカバーであることは後になって知りました。オリジナル(元祖)だけがよいとは限らないと前々回「能登半島」について書いたばかりですが、「氷雨」の歌唱については(平均して)佳山明夫に一日の長があるように思えます。

「想い出まくら」には多数のカバーがあるようです。八代亜紀森昌子小柳ルミ子…といった“大物”ですと、それぞれ歌手の良さ=“大物ぶり”の再確認はできても、曲の歌唱自体に惹かれるという感じではなくなります。

 

林あさ美は無いようで、残念です。

 

…ということで、10人以上聴いた中では、長山洋子がいいですかね。誰でもつい崩したくなる箇所もオンビートで過ごしながら、フレーズの急所を引き立たせる歌唱となっています。崩さずとも聞き手を引き込む節回しは作れるのだ、ということを体得している人であることが伝わってきます。次いでは、椎名佐千子森山愛子にも、類似の良さを聴き取れました。

 

けれども私が最も驚いたのは、岡崎友紀です。

 

ほんもののマルチタレント、ここにあり。今この時代になってようやく彼女のすごさに気づき、視聴できるものを次々と散策しては深く首肯しているところです。TVでの活躍当時からそのことを知るには、残念ながら私は少し幼過ぎました(笑)…。最近もライブ活動などされているようで、幸いです。

 

「想い出まくら」でも、癖のない澄んだ美声による細やかで気遣いの行き届いた発音発話についつい惹かれていくと、「話してーえーよ」の「え」で裏返り、あれ外した?どうした?と思って、2番に来ると、また全く同じようにぶれずに裏返る、そうか、裏返るのではなく裏返しているのか、と気づき、最終リフレインに来て耳を澄ますとやはり。3度の同じ「外し」は、もう意図的な表現である証拠です。その確かな技術性。──ちゃんと3回歌っていると信じますが…、仮に1テイクを使い回したのだとしても、そうしたくなるくらいその1回がパーフェクト…という気持ちはよくわかるから許す、といえるほどです(笑)。──

 

氷雨
佳山明夫
https://www.youtube.com/watch?v=qCYx0qo7Jtg

 

「想い出まくら」
小坂恭子
https://www.youtube.com/watch?v=KOmqSISgG6o

長山洋子
https://www.youtube.com/watch?v=HfQQcja_SB0

岡崎友紀
https://www.youtube.com/watch?v=qByWzzbb_w0

僕にまかせてください ─流麗な多連唱─

三連連唱の調べ[第5回]

短調編 (3) 僕にまかせてください

 

[03] 僕にまかせてください☆☆☆☆☆(さだまさし、クラフト)

 

さだまさしのグレープ時代の提供曲の佳作。婚約相手の母親の墓に参る歌。相手を失う「精霊流し」よりはまだしも明るい歌といえます…。歌い出しから、流麗な「切分14連唱+拍頭複連唱」。「流麗」というのは、「津軽海峡」や「能登半島」のような「同音程の畳みかけ」ではなく隣接2音がすべて異なる音程で連なる、という著しい特徴のことを指します。四七抜き(でないのにそう)かと思うほど素朴、でありながら似ている曲が他になさそうな、ピアノ独奏に向いているような独特な旋律線です。サビでは拍頭単連唱が多発(こちらは同音程も有)、それが2番では「彼岸過ぎ[たら]」と一部切分連唱に変化するのも味わいがあります。Wikipediaにはタイトルについてのエピソードが載っているようです。曲自体を直に聴けば、やはり作者の意向だった「彼岸過迄」の方が断然ふさわしいと思います。

 

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☆☆☆☆☆(多連唱歌
長さ10以上の連唱が複数箇所に認められるもの。連唱度の高さを☆の数によって五段階に分けています。☆の数毎の呼び名と説明は、「定義」や「類別」とは違って、もっと緩い、一つの目安として付けています。
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https://www.youtube.com/watch?v=5ticMcjrdXE

 

ここで余談を一つ。定義集に「連唱の次数」というものを載せました。

 

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(8) 連唱の「次数」
「『1つの連唱に含まれる拍頭音の総数』から1を引いた整数」を連唱の「次数」という。次数がnで長さがkの連唱を「次数nのk連唱」または「n次(の)k連唱」という。
例えば,以下の連唱の次数はいずれも2である。
(8-1) 拍頭からの長さ7以上9以下の連唱
   j i i j i i j,j i i j i i j i,j i i j i i j i i
(8-2) 拍央からの長さ9以上11以下の連唱
    i i j i i j i i j, i i j i i j i i j i ,i i j i i j i i j i i
(8-3) 拍尾からの長さ8以上10以下の連唱
    i j i i j i i j, i j i i j i i j i ,i j i i j i i j i i
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この「次数」は、定義集未読でもほぼ理解可能な他の諸用語とは一線を画すため、本文に使うのを遠慮しています(頭掻)。このまま『ウルトラセブン』のカプセル怪獣以上に“登場しない”用語になるかも。

 

ただ「次数」にもちょっとした面白みはありまして、これを使って、個々の曲を連唱の観点のみから抽象化した

 

連唱多項式

 

というものを導入できます。

 

精霊流し…3x^3+20x+1(「愛した」を準連唱と見做した場合)
心のこり…5x^2+5x+4
津軽海峡冬景色…3x^6+x+6(「ときから」を連続音と見做した場合)
(例えば「x^2」は「xの2乗」を表す。)
……

 

というように、次数nの各曲にn次多項式を対応させるのです。これを使うと「連唱の度合い」を様々に数値化することもできそうです。題して『多連唱解析の理論〜連唱多項式とその応用〜』(笑)。いや、実はさらにふさわしい数理モデルもあるのかもしれません…。

 

しかし、本稿の目的はあくまで三連連唱の歌の紹介と解説にありますので、数理モデルの詳細には立ち入らないことにします。したがって、本稿の☆の数も、数理的な一意性などはなく、初めに断った通りあくまで私の主観・感覚に依って付けたものです。

 

余談はこのくらいにし、次回からは短調編☆4つの曲を採り上げていきます。このグループこそが三連連唱歌の典型といえます。

能登半島 〜三連連唱の鑑〜

三連連唱の調べ[第4回]

 

短調編 (2) 能登半島☆☆☆☆☆

 

連唱度の高さを☆の数によって五段階に分けています。☆の数毎の呼び名と説明は、「定義」や「類別」とは違って、もっと緩い、一つの目安として付けています。

 

☆☆☆☆☆(多連唱歌) 長さ10以上の連唱が複数箇所に認められるもの。

 

[02] 能登半島☆☆☆☆☆(阿久悠三木たかし石川さゆり

 

津軽海峡冬景色」の次にリリースされたのがこの「能登半島」ですね。

 

詞曲とも同一作家のこうした連続リリース曲のペアに対する、“二番煎じ”といった揶揄は、その作家たちが自嘲を込めて言うなら意義もあるでしょうが、自ら創作しない/できない者が言うのは通常は慎しみたいと考えます。作品の享受者としての我々には、作家一人の創作とはどういった行為なのか、その機微についての想像力が必要だと思います。似ていることはそれだけではけっしてマイナスにはなりません。知らない人にはハイドン交響曲はどれも同じに聞こえるかもしれませんし、「ブルックナーは同じ曲を何回も書いた」というのもある意味当たっているともいえる。そのどれもが素晴らしいというだけです。

 

話を戻しますと、「津軽海峡・冬景色」より「能登半島」の方が曲のテンションはさらに上がっているというふうにも私には見えます。少なくとも「より売れた方/初めに出た方が、やっぱりよい」と単純には言えないのです。 「能登半島」は「津軽海峡・冬景色」よりも1拍少ない拍頭16連唱で始まります。…いえ、「荒く」が“揺らし”で歌われれば、すなわち「あーらく」の「あ」と「ー」の音程が異なれば、同じく19連唱になります。しかもこちらはその多連唱が、それに応じた長い非連唱を挟むことなく立て続けに2回現れ、その後も息つく暇なくほぼすべてのフレーズが連唱または準連唱となっています。「十九(じゅうく)」の準連唱も、いったん音域を沈ませてサビへの助走を付ける旋律線と相まって一度聴いたら忘れない印象を残します。目立つ非連唱部分はサビの「ゆく旅は」「能登半島」の2箇所くらいしかありません。他にわずかに「恋」の2箇所が連唱でも準連唱でもありませんが、これも「拍央音+長音」の2音から成り、拍頭の休符とセットになって拍頭からの準連唱のような聴感になります。いわば“準々連唱”なのです。そして、「あなた、あなた訪ねて」を聴くに至り、三連連唱の醍醐味は、何も多連唱の長さにだけでなく、こうした、歌詞としっかり連動した準連唱や拍頭複連唱のパワーにこそある、ということがよくわかります。

 

このように、「能登半島」はまさに三連連唱の鑑ともいえる1曲です。

 

ところで、この曲も曲先でしょうか。二匹目のドジョウ?(揶揄としてでなく(笑))を狙った作家コンビの間には、ひょっとすると「次も三連連唱で行こう」という事前了解があったのではないか、その上でなら今度は詞先ということもありえるのではないか…そういう想像も楽しいですね。

 

この曲には幸い、林あさ美の名歌唱が残されています。最後のリフレインのみカットの、ほぼフルコーラスというのも嬉しい。 歌謡曲の多くでは持ち歌歌手がいてこその歌作りになることはもちろん承知しています。この「能登半島」もそうなのでしょう。それでも、できあがった作品は、以後独立に一つの歌として存続します。“後世に残る”ものほどそういう存在だといえます。すると、作品自体の曲─歌としての普遍的魅力をピュアに見出すには、持ち歌歌手の個性をいったん脇に置くのもよい、聴き馴染みのみからの「やっぱり持ち歌歌手でないとね…」という先入観が大事なものの深い理解を妨げる場合がある、ということも、この機会にぜひ訴えておきたいと思います。──ただし上記本文のための「連唱認定」は石川さゆりの歌唱に依っています。──

 

https://www.youtube.com/watch?v=35YQrOYt7BU