音楽の編み物

シューチョのブログ

言の葉と音の符 楽の譜は文の森 (62)        ドヴォルザークはお好き

何であれ,“通”の視点というものはありますね。交響曲でいうと,

ブルックナー第4

シベリウス第2

ショスタコーヴィチ第5

といった「それだけを聴いていたのではとうていその作曲家の真価はわからないぞ,という。

私自身はというと,上記の例では,ブルックナーだけは“通”を気取れるも,シベリウスは少しあやしく,ショスタコーヴィチは完全に「まだまだわかっとらん」レベルでしょう(笑)。

で,一作曲家の作品群の比較ではなく,作曲家たちの比較に移りますと,私は,ある時期から,ドヴォルザークを推すようにしております。これは一種の“逆手流”の通のつもり(笑)で,つまり,ドヴォルザークは通常の“通”からは軽く見られているようだから,あえて,いやいや,知らぬのか御主,と切り返すという,ひねりです。

第6から「新世界から」までの4曲は,師・ブラームスの背中を追い,追いつき追い越した?4曲ですね。

特に,第6はまんまブラームス第2で,“実際に”驚くほどよく似ています。もとは同じ音楽が,2人の別の人間の手によってそれぞれ異なる曲となって生まれ出たかのよう?。この組合せほどではありませんが,第7とブラームス第3にも何か通底する類似性を感じますよね。

さて,これも“通”の道なのか,最近,ドヴォルザーク室内楽の森に分け入りつつあります。

ピアノ五重奏曲イ長調作品81(B.155)

弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品51(B.92)

の2曲に特に惹かれています。ドヴォルザークの魅力が次々と溢れ出して止まらない,驚きの純音楽美/純器楽美の世界。何より,私が好む,私に合う,私のために書かれた(私が書いた!?)かのようなフィット感があり,なぜこの歳になるまでこれらを知らずにいたのか,悔やむ以前に不思議でなりません。

などと言いつつ,弦楽四重奏曲の全曲さえまだ聴けていないのではあります(頭掻)。しかし,10番や14番などを聴いていると,もう,「アメリカ」っていい曲だよね,なんて軽口は確実に出なくなります。「アメリカ」なんて(もちろん,今はあえて言い過ぎておくのですが),弦楽四重奏曲群中,最もどうでもいい曲なのではないかと予測します。何で「アメリカ」だけが有名なのか,理解に苦しむ。この苦しみ(笑)の程度は,シベリウス通が第2だけじゃないぞ,と叫び,ブルックナー通が第4ばかり…,と嘆く程度よりも,さらに大きいのではないかと思います。

ともあれ,私の内面の音楽史上,ドヴォルザークは最も重要な作曲家の一人です。